過去のカタログの中で最もスバルらしいクルマは…初代インプレッサ

過去のカタログの中で最もスバルらしいクルマとは何か?答えは1つしかない。それは…初代インプレッサだ。初代インプレッサがピークのスバル車である理由を挙げよう。


スバル インプレッサの標準モデルが英国に上陸したのは1993年のことだが、その当時は正直言って退屈なクルマだった。レガシィのプラットフォームを短縮したバージョンに基づいており、日本の自動車メーカーはこの車を開発する際にラリーを念頭に置いていたが、最初はそれが明確ではなかった。これはラリーを盛り上げるために作られたクルマのはずだったのだ。退屈なバージョンには前輪駆動モデルもあったが、それはすぐに中止され、よりクールなAWDモデルだけが販売されることになった。

伝説は1994年のインプレッサ ターボ 2000AWDから始まった。イギリスのプロドライブ社は、スバルのスポーツ部門であるSTIの協力を得てWRCに参戦することになり、そのためにいくつかの部分でロードカーを改良した。

2.0リッターの水平対向4気筒ボクサーエンジンは、当時としては驚異的な208bhpを発生。0-97km/hのタイムが5.8秒であったのと同じくらい印象的だった。これは、80年代のユニークなホットハッチのいくつかの伝統を受け継ぐことができる車であり、ジャスティのスーパーミニやレガシィのワゴンによって、かろうじて英国で知られていたブランドにとって、これは急激な方向転換となった。

インプレッサ ターボは絶好のタイミングで登場しした。イギリスは不況の狭間にあり、チューニング雑誌のマックスパワーがイギリスのカーカルチャーを牽引し、ラリーが人気を博していた。突然、スリリングなパフォーマンスが手頃な価格で手に入るようになったのだ。

さらに言えば、STIは80年代後半にレガシィで耐久レースの記録(10万km到達の最速記録など、達成に1ヶ月を要した)を塗り替え、その名を世に知らしめたが、そのおかげでインプレッサの信頼性は保証された。ドイツ製高性能車のなかには、ベルやホイッスルなどあれこれの装備が搭載されているものもあったが、スバルの丈夫なプラスチックとスパルタンな雰囲気は、モータースポーツ参戦のためにすでに準備されているかのようだったのである。

インプレッサ ターボは、口コミとWRCでの成功も手伝って、着実に需要を伸ばしていった。メーカーが手にした良い資産に気づくと、パフォーマンスモデルが次々と登場する。プロドライブチューニング、STI フェトリング、あるいはマクラーレン F1デザイナーのピーター スティーブンスによるスタイリングの280馬力のP1(一部では究極のインプレッサターボと言われる)など。90年代末には31,000ポンド(600万円)もしていた。グレーな輸入方法の世界に吸い込まれそうになっていたことさえある。

(スバル初の本格的な量産車、360から)40周年記念の22B STI特別仕様車は、最近最も高値で取引されている。生産台数が制限されており、現在10万ポンド(1,900万円)以上の価格になっている。今のスバルのラインナップを見れば、インプレッサの全盛期があったことすら分からないだろう。裕福な田舎者向けのソリッドなAWDのエステートは、今ではソリッドなAWDのSUVへと姿を変えてしまったが、誰をターゲットにしているのかさえ、スバル自身もわかっていないように感じられる。

一部株主のトヨタとの協力により、興味深い結果が得られている。ソルテラは両社にとって初のEVだが、GR86とBRZのコラボはちょっと面白かった。これは、かつての栄光の日々が垣間見られるようだ。もしかしたら、次は2人で電気自動車のホットサルーンを開発できるかもしれない。それは単なる希望的観測なのだろうか。

【日本特集】次期GT-R RX-7 LFA MR2/ケータハム プロジェクトV/日本のボルボオーナー:トップギア・ジャパン 060






=海外の反応=
「歴史語るならやっぱレガシィRSでしょ! レガシィとインプレッサって、インプレッサベースのレガシィとかいう冗談が出るくらい共通点多かったし。SVXもスバルのロマン枠として外せないけどさ、マジレスするとBL/BPレガシィこそがスバルの真骨頂だと思うんだよね」

トラックバックURL: https://topgear.tokyo/2024/04/69507/trackback

コメントを残す

名前およびメールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

HP Directplus -HP公式オンラインストア-

ピックアップ

トップギア・ジャパン 060

アーカイブ