日産GT-R 50周年記念:トップギア編集部員のGT-Rとの思い出

トップギア マガジン モータリングエディター、オリー マリアッジ

ダーク ショイスマンはニュルブルクリンクで最初に「聖油を塗られた」人物である。彼は当時日産の開発部門の指導者であった。日産はグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードでのR34のローンチのため、彼をイギリスに連れ戻した。私は助手席に座り、コースを数周走行すると、R34がこれまで考案されたクルマの中で間違いなく最もスムーズで、洗練されていて、そして力むことなくパワーを出せるスポーツカーであるということを体感した。

日産はほかにもローレン アイエロというメンバーを送り込んでいた。通常彼はプリメーラを運転していたが、R34も運転させてみたのだ。私は再び助手席に座り、コースを数周走行すると、今度は自分が知っていると思っていたR34の全てが間違っていたということがわかった。野蛮の骨頂というべきで、完全にワイルドで、そして同時にいくつもの方向へと能力を出すことができたのだ。速いレーサー達の隣には何度も座ったことがあったので、大体彼らが何をする気であるかは予想ができた。しかし、アイエロのように運転するレーサーの隣に座ったことはかつて一度も、絶対になかった。ターンインをする時にしか、彼はブレキーを踏まないんだ。

初めてのGT-Rの経験?クロスカントリー競馬みたいに、好きなコースを選ばせて、地球上で一番楽しいクルマを見つけることを目的という企画だったね。ウェールズとその周辺で行われた馬鹿げた自動車テストで(上の写真のような)R33に乗ったことだろう。最も優れたクルマを見つけるため、人間が出せる最高速度で2地点間を走行したんだ。スティーブ サトクリフはあるバイカーと競争になり、しまいにはガソリンスタンドの前庭で取っ組み合いを始めたのだが、彼はフォード プーマを運転していただけだったのに。

当時私は23才で仕事を始めたばかリだった。私が喧嘩を見つめている一方で、コリン グッドウィンは知らん顔で日当たりのいい道端に寄りかかり、こういった喧嘩が完全に日常の風景だよ、ってことをボディランゲージで教えてくれたのだった。GT-Rの豪華なチタン製の小さな鍵を手にしながら、この業界で働くってことは、かなりロックかもしれないな、などと考えていたことを覚えいてる。それまでに運転した車の中で、その時に乗ったR33 が初めてのちゃんとした速いクルマで、私は必要以上にスピードを出して走らせた。R33もそれに応えてくれ、私をヒーローへと変えてくれたのである。とても大きく、それでいて機敏で、GT-Rシリーズの中で一番の存在感だった。古いクルマでも私が十分について行くことができたので、スティーブ サトクリフが気を落ち着かせると、彼らは私をモーガン プラス8に突っ込んだ。私と違ってGT-Rはどれだけ素晴らしいことかを、その時に思い知ったのだ。

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