メルセデス・ベンツの至宝、Sクラスがかつてない規模の進化を遂げた。約2,700点もの部品を刷新した新型の真打ちは、V8エンジンの咆哮でも豪華なレザーでもなく、なんと「AI」だ。「馬力からIQで勝負する時代へ」と評される新型Sクラスは、自社開発OS「MB.OS」を引っ提げ、複数のAIを自動で使い分ける完璧なコンシェルジュへと変貌。車という概念を根底から覆す「知能を持つフラッグシップ」の全貌に迫る。
自動車の歴史を背負う巨艦、過去最大規模のアップデート
自動車の歴史は、メルセデス・ベンツの歴史である。これは単なるメーカーの宣伝文句ではなく、明白な事実だ。カール・ベンツが140年前に世界初の自動車の特許を取得して以来、メルセデス・ベンツは常にイノベーションの最前線を走り続けてきた。そして、その革新の象徴として君臨し続けてきたのがフラッグシップたる「Sクラス」である。1978年には現在では当たり前となったABSを世界に先駆けて採用し、1980年には量産車として初めて運転席エアバッグを実用化した。Sクラスは単なる高級車ではなく、「次の時代の当たり前」を世に問う実験室であり、絶対的な指標なのだ。
そして今回、140周年の節目に登場した新型Sクラスは、我々の想像を遥かに超える規模のアップデートを敢行した。驚くべきことに、車両全体の50%以上にあたる約2,700点もの部品が新規開発、または再設計されているのだ。エクステリアに目を向けると、ラジエターグリルは従来比で約20%も拡大され、クローム仕上げのルーバーは3本から4本へと増強された。さらにSクラスの歴史上初めて、イルミネーテッドラジエターグリルが採用されている。リアエンドには、クロームフレームで縁取られた片側3つのスターデザインが輝く新型リアコンビネーションランプが鎮座し、圧倒的なステータス性を誇示している。
Sクラスに宿る「複数の頭脳」。GeminiとChatGPTがシームレスに交錯する恐るべき仕組み
新型Sクラスの真の革新は、馬力やトルクといった「物理的なスペック」にはない。モータージャーナリスト清水氏が「これまでの高級車はパワーや馬力で競争してきたが、これからは『IQ』で勝負する時代になる」と喝破したように、主役は間違いなく「AI」と「ソフトウェア」である。
新型Sクラスには、メルセデス・ベンツが自社開発した新世代オペレーティングシステム「MB.OS」が搭載され、その上で第4世代へと進化したインフォテインメントシステム「MBUX」が稼働する 92。最大のトピックは、生成AIをフル活用した「MBUXバーチャルアシスタント」の導入だ。このシステムは単一のAIに依存していない。システム内部には、OpenAIの「ChatGPT」、Googleの「Gemini」、そしてMicrosoftのAI技術など、世界最高峰の頭脳が複数統合されているのである。
クラシファイア:AIを指揮する「オーケストラの指揮者」
読者諸兄はこう思うかもしれない。「運転中にいちいち『ChatGPTを開いて』とか『Geminiで検索して』と指示しなければならないのか?」と。答えはノーだ。ここに、メルセデスの技術の粋が集結している。
ユーザーが自然な言葉で車に話しかけると、MB.OS内部に潜む「クラシファイア(Classifier=分類器)」と呼ばれる判断機能が瞬時に起動する。このクラシファイアこそが、優秀なヘッド・コンシェルジュの役割を果たす。ユーザーの質問の「意図」と「文脈」をリアルタイムで解析し、それがエアコン温度調整などの「車両機能」に対するリクエストなのか、レストラン検索などの「外部へのリクエスト」なのかを瞬時に判断する。そして、その要求を満たすのに最も適したAIエンジンをシステム側で全自動かつ瞬時に選択・切り替える仕組みになっているのだ。
各AIの役割分担と「バージョン」の概念
システム内での役割分担は極めて論理的だ。
車両制御AI(フィジカルAI):「少し寒いな」といった要求に対し、クラシファイアはこれを車両の機能要求と判断。エアコンの温度調整やシートヒーターの作動など、物理的なハードウェアの制御を行う。将来の自動運転にも繋がる車の動きそのものを司る頭脳である。
Google Gemini:主に空間・地理情報、ナビゲーション、最新のスポット検索(POI)を担当。Google Mapsと連携し、リアルタイムな交通状況や店舗の口コミ評価などを引き出す。
ChatGPT / Microsoft Bing:複雑な一般知識、抽象的な会話、文脈の推論、そして人間らしい自然な会話のキャッチボールを担当する。
ここで気になるのが、組み込まれているAIの「バージョン」だろう。スマートフォンやPCでAIを使う際、GPT-4やGemini 1.5 Proといったバージョンを気にするのは当然だ。しかし、クラウドネイティブな新型Sクラスにおいてその概念は少し異なる。これらのAIエンジンは車体のハードディスクにオフラインで固定されているわけではなく、メルセデス・ベンツ・インテリジェント・クラウドを通じて常にそれぞれのプロバイダーの最新のLLM(大規模言語モデル)APIにアクセスしている。つまり、OTA(Over-The-Air)によるアップデートとクラウド側の進化に伴い、特定の固定バージョンに縛られることなく、車載AIも常に最新かつ最適な状態へと進化し続けるのだ。開発担当のフランク氏が「車が古くなるのではなく、時間の経過とともにより良く進化していく」と表現した通り、納車された瞬間が「完成」ではなく、絶えず賢く成長していくのである。
実際の使用例:AIアシスタントとの「会話のキャッチボール」
発表会のデモ音声では、このクラシファイアと複数AIの連携がいかに人間離れ(いや、いかに人間らしいか)しているかが証明された。
ユーザー:「ドイツから友人が来ます。自然が感じられるおすすめの場所を教えて」
システムの裏側:この漠然とした問いに対し、クラシファイアは「外部情報の検索」と判断してGemini等の検索エンジンにルーティング。
AIの回答:「新宿御苑や昭和記念公園などがぴったりです」と的確に提案する。
ユーザー:「新宿御苑の評価は?」
システムの裏側:ここでAIは前の文脈(新宿御苑)を短期記憶として保持したまま、口コミデータにアクセス。
AIの回答:「4.6とかなり高いです」と即答し、口コミの概要を紹介する。
ユーザー:「ちなみに表参道にメルセデス・ベンツの新しい施設ができたのを知ってますか?」
システムの裏側:話題が突然変わっても問題ない。ChatGPTやGeminiが即座に最新の一般情報と照らし合わせる。
AIの回答:「2026年4月24日にオープンした『メルセデス・ベンツ スタジオ東京』ですね」と施設の詳細を説明する。
ユーザー:「そこへナビをセットして」
システムの裏側:最後にクラシファイアはこれを車両機能への命令と解釈し、MBUXナビゲーションシステム(Google Mapsベース)へと連携させる。
一連の流れにおいて、ユーザーは一度も「検索して」や「セットして」といった機械的なコマンドを意識していない。清水氏が「優秀なコンシェルジュ(執事)がついたようだ」と絶賛するのも当然だろう。特定の単語を読み上げて目的地を入力していた時代は、完全に過去のものとなったのだ。
ボンネットの下の芸術:V8の咆哮と直6ディーゼルの静寂
トップギアの読者であれば、まずボンネットの下に何が収まっているのか気になって仕方がないだろう。安心してほしい。メルセデスは内燃機関の魂を決して忘れてはいない。S 580 4MATIC longに搭載される4.0L V8ガソリンエンジン「M177Evo」は、最高出力395kW、最大トルク750N・mという強烈なパワーを叩き出す。特筆すべきは、ラグジュアリーカーには珍しい「フラットプレーンクランク」を採用している点だ。スポーツカーでお馴染みのこのクランクシャフトにより、回転の吹き上がりは恐ろしいほど鋭い。しかし、ここはSクラス。振動を打ち消す2つのバランスシャフトを巧みに組み合わせることで、スポーツカーのレスポンスと、フラッグシップにふさわしい極上の静粛性を見事に両立させているのだ。
一方、S 450 d 4MATICに搭載される直列6気筒クリーンディーゼルエンジン「OM 656 Evo」も負けてはいない。V8モデルと全く同じ750Nmという強大なトルクを、わずか1500〜2000回転という極低回転域から発揮する。モータージャーナリストの清水氏によれば、その走りは「どちらかというと電気自動車の乗り味に近い」という。さらに、全てのエンジンには17kWのインテグレーテッド・スターター・ジェネレーター(ISG)が組み合わされており、エンジンの再始動は無音に近いほどシームレスだ。
「走りと快適性のバランスの進化とは?」
ここで、ドイツ本社のSクラス開発担当であるフランク氏にマイクを向け、質問をぶつけてみた。「これだけハイテク満載ですが、乗り心地と走行性能のバランスは旧型に比べて進化したのですか?」と。フランク氏の回答は、メルセデス・ベンツの哲学そのものだった。「Sクラスにおいて、ドライビングの快適性(乗り心地)について妥協することは『絶対に交渉の余地がない(non-negotiable)』最優先事項です」。その強固な快適性の土台の上にこそ、アジリティが構築されているのだという。
その言葉を裏付けるのが、シャシーの劇的な進化だ。AIRMATICサスペンションに備えられたインテリジェントダンパーは、Car-to-X通信を駆使する。前方を走る他車が段差(スピードバンプ)を通過した情報をクラウド経由で受信し、自車が到達する5〜10m手前で自動的にサスペンションの車高を上げて衝撃を和らげるという、まるで未来の魔法のようなダッキング機能を備えている。さらに、最大10度まで後輪が切れるリアアクスルステアリングにより、この巨艦はコンパクトカー並みの回転半径で街角を駆け抜けるのだ。
物理ボタンの帰還と、シートベルトがあなたを温める日
インテリアの進化も目覚ましい。ダッシュボードには14.4インチの巨大なメディアディスプレイと、12.3インチの助手席用ディスプレイが浮かび上がるように配置され、コックピットに圧倒的なデジタル空間を創り出している。
だが、最も賞賛すべきはテクノロジーの押し売りをしていない点だ。顧客の声に耳を傾けた結果、ステアリングのスイッチには物理的な「ロッカー(シーソー型)」と「ローラー」が復活した。すべてをタッチパネルにすれば良いという短絡的な思考から脱却し、ブラインドタッチできる操作性を取り戻した英断に拍手を送りたい。また、JD Powerの調査に基づき、センターコンソールは最も使いやすいレイアウトへと最適化されている。
そして極めつけは、前席に初採用された「ヒーテッドシートベルト」だ 72。なんとシートベルト自体が最大44度まで温まるのである。これにより、真冬でも分厚いコートを脱いで乗車でき、結果としてシートベルトが体に密着するため安全性も向上するという、まさに一石二鳥の人間中心設計である。後席に目を向ければ、13.1インチのディスプレイを使ってZoomやTeamsでのビデオ会議すら可能だ。フランク氏が表現した「ドアを閉めた瞬間に家のようにくつろげる、ウェルカムホームの感覚」は、決して大げさな表現ではない。
狂気のカスタマイズ「MANUFAKTUR Made to Measure」
Sクラスを手に入れるような限られた成功者たちは、他人と同じ仕様に乗ることを嫌う。メルセデスはそんな彼らのため、新たなパーソナライゼーションプログラム「MANUFAKTUR Made to Measure」を初導入した。そのメニューは驚異的だ。
外装色は、過去の名車と同じヘリテージカラーを含む100色以上のバリエーションを用意。インテリアに至っては、PANTONEのポートフォリオに基づく400色以上から選択可能だ。さらに80色以上のステッチカラー、ヘッドレストやフロアマットへのオリジナルロゴ刺繍、70色以上から選べるイルミネーテッドステップカバーなど、もはや選べないものはないと言っていい。専門家との1対1のコンサルテーションを通じ、世界に一台だけの、文字通り究極のSクラスを仕立て上げることができるのだ。
Sクラスはもはや車ではなく、あなたを理解するパートナーである
メルセデス・ベンツ日本 ゲルティンガー社長は「購入した瞬間が完成ではなく、ソフトウェアによって進化していくフラッグシップ」だと語った。MB.OSとクラウド連携により、OTA(Over-the-Air)で継続的に機能がアップデートされていく新型Sクラスは、時間が経つにつれて古くなるどころか、賢く成長していくのだ。
V8エンジンの心地よい鼓動を楽しみながら、AIコンシェルジュと休日の計画を練る。Sクラスはもはや「移動のための機械」ではない。あなたの意図を読み取り、安全を守り、至高の快適性を提供する「知能を持ったパートナー」への進化を完了したのである。
新型Sクラス モデルバリエーション・価格・納期
気になるラインアップと価格についてお伝えしよう。新型Sクラスは、まず3.0L直列6気筒ディーゼルエンジンにISGを組み合わせた右/左ハンドル仕様の「S 450 d 4MATIC」から導入される。こちらのメーカー希望小売価格は15,980,000円(税込)となっており、すでに全国の正規販売店ネットワークを通じて予約注文の受付が開始されている。続いて、よりパワフルな4.0LV8エンジンを搭載したロングホイールベースモデル「S 580 4MATIC long」も控えており、こちらの価格は23,650,000円(税込)で、9月以降に発表および納車が予定されている。さらに、究極のラグジュアリーを体現するマイバッハモデルなども9月以降に順次導入が予定されており、日本のVIPたちを大いに悩ませることになりそうだ。
写真:上野和秀
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