1959年の誕生以来、コンパクトカーの概念を覆し、時代を象徴するアイコンとなった「ミニ」。モンテカルロ・ラリーの歴史を変えたクーパー Sから、軍用車として生まれたミニ モークまで、その進化は止まらない。ここでは、ミニ66年の歴史を語る上で絶対に外せない、伝説的な9つのモデルを時系列で解説する。
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1959年 モーリス ミニ マイナー
史上最も象徴的で影響力のある車の一つであり、その重要性は文化的な面でも、えーと、技術的な面でも同様である。最初期のミニは「モーリス ミニ マイナー」または「オースチン セブン」と呼ばれ(「ミニ」がブランドとなったのは69年以降)、わずか34馬力を発生する848ccのAシリーズエンジンを搭載していた。
1961年 モーリス ミニ クーパー
ジョン クーパー(※1)が率いるF1チームは、1959年と60年にF1世界選手権を制覇した。彼はミニの生みの親であるアレック イシゴニス氏と親友であった。そして、見よ、ミニ クーパーが誕生した。レースに出場するために設計された、よりパワフルでハンドリングの良いミニである。そして、それは多大な成功を収めることになる…
1964年 パディ ホプカークのミニ クーパーS
1963年にはさらに改良されたミニ クーパーSが登場し、ほぼ即座にモンテカルロ ラリー(※2)でクラス優勝を果たした。64年、ホプカーク(※3)がミニを駆ってモンテカルロでの3度の総合優勝のうちの最初の勝利を収めたことは有名である。彼と彼の車は、文字通り一夜にして英国のヒーローとなった。
1964年 モーリス ミニ モーク
元々は軍用として設計されたが、軍には採用されなかった。そのため、モークは一般向けに販売されることになった。これはミニをその構成要素まで蒸留したような車であった。ドアはなく、あってないような屋根と、可能な限り少ないボディワーク。日当たりの良い地域で特に、予想以上の人気を博した。
2002年 ミニ クーパーS
BMWは2001年、全く新しい、えーと、「ミニ」の発売をもってミニブランドを再始動させた。その見た目は素晴らしく、走りも信じられないほど良かった。1年後、素晴らしい163馬力のスーパーチャージャー付き1.6リッターエンジンを搭載したクーパーSが登場。20年以上経った今でも、現代のミニにおける最高の1台であり続けている。
2006年 ミニ クーパーS ワークスGP
クーパーSをさらにハードコアにしたモデルである。史上初の限定版ミニGPは、軽量化のために(どうせ役に立たない)後部座席を撤去し、より低く硬いサスペンションと218馬力を手に入れた。車両重量は1トンをわずかに超える程度で、本格的な一台であった。
2012年 ミニ オール4 レーシング
2012年以降、ミニはダカール ラリー(※4)の常連出場者として、意外な道を切り開いてきた。パートナーであるX-raid(※5)によって製造されたオール4 レーシングは、2012年から4年連続でこの耐久ラリーを制覇。ミニはダカールで通算6回以上優勝しており、直近では2021年に勝利を収めている。
2013年 ミニ ジョン クーパー ワークスGP
これもまた、後部座席がなく、多くのステッカーとスポイラーを備えた、専門的な限定モデルである。スーパーチャージャーに代わってターボが搭載された第2世代のGPは、初代よりも洗練された車であったが、爽快感や興奮はやや薄れた。それでも、非常に高性能で楽しめる一台である。
2019年 ミニ エレクトリック
ミニにとって初の市販EVへの挑戦であり、BMW i3から多くの技術を借用し、元々はEV用には設計されていなかったプラットフォームに巧みにパッケージングした。航続距離は長くなかったが、効率的で速く、そして実のところかなり楽しかった。専用設計された後継モデルは航続距離を伸ばしつつ、我々が愛する風変わりな特性をすべて保持している。
※1 ジョン クーパー: レーシングカーのコンストラクターであり、ミニをチューニングして「ミニ クーパー」を生み出した人物。彼の名は現在のミニの高性能モデル「ジョン クーパー ワークス」にも受け継がれている。
※2 モンテカルロ ラリー: WRC(世界ラリー選手権)の中でも最も歴史と権威のある一戦。雪、氷、ドライのアスファルトが混在する過酷なコースで知られる。
※3 パディ ホプカーク: 北アイルランド出身の伝説的なラリードライバー。1964年に非力なミニ クーパーSで格上の大排気量車を打ち破り、モンテカルロ ラリーで総合優勝したことは「ジャイアントキリング」として語り継がれている。
※4 ダカール ラリー: 「世界一過酷なモータースポーツ」と称されるラリーレイド競技。砂漠や悪路を長距離にわたって走破する。
※5 X-raid (エックスレイド): ドイツを拠点とするラリーレイド専門のレーシングチーム。長年にわたりミニのダカール ラリー参戦をサポートしている。
アルファ ロメオ 33 ストラダーレ/ランド ノリス✕R32 東京ナイトドライブ/R35日本取材:トップギア・ジャパン 068
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「俺の1964年式1071Sは、スチュアート ターナーがまだBMC(※英国の自動車メーカー)のコンペティションマネージャーだった頃に、彼から250ポンド(約5万円)で買ったんだ。中古だよ、それも使い古しの。1000湖ラリーの偵察(レッキ)車として使われた、無改造のSだった。最高だったね。めちゃくちゃ速かった。そして、歪んでた。俺が手に入れる前にフィンランドでジャンプしすぎたせいで、屋根にシワが寄ってたんだ。クラブのナイトラリーで横転させた後、スチュアートが新品のドンガラ(ボディシェル)を売ってくれて、新しいボディが曲がらないようにロッカーパネルの内側に溶接する補強パネルも付けてくれた。ボディはスポット増しして、サスペンションのベアリングも全部新品にして(古いやつは完全に摩耗してた)、また走らせた。イングランドの田舎の一車線路を、暗闇の中でしょっちゅう時速90マイル(約145km/h)でぶっ飛ばしてたよ。その後2回転がしたけど、塗装に傷ひとつ付かなかった。ボート用の2液性エポキシ塗料で、めちゃくちゃ頑丈だったんだ。横転した時、フロントとリアのスクリーンは両方とも外れたけど、簡単に元に戻せた。でも両方のドアは完璧に開閉した。補強したボディは曲がらなかったんだ。今の(ちっともミニじゃない)ミニで同じことができるかい?」
「R53のクーパーSを買った時、新しいターボのR56と迷ったんだ…結果、俺が今まで所有した中で最高の車の一つになったよ。R53のことな。
燃費もそこそこ良くて、あの小さなボディに驚くほど荷物が積めて、クソ速くて、ハンドリングはそれ以上だった。
それをミニ/BMWは文明的にしちまって、殺してしまったんだ。
まあ、俺が服を着たまま経験した中で一番楽しかったのは、S2000のエンジンを積んだ60年代のクーパーSだったけどな…
あの車の中では笑いが止まらなかった…まさに最高(EPIC)だった」
「へぇ、ミニ モークのことは知らなかった。シトロエンのメアリを思い出すね。ミニがレース界で信じられないほど素晴らしい評価を得ているのは間違いない」
↑「でも、我々は皆、革新とかを求めてると思うけど…同時にミニはルーツを失ってしまった」
↑「俺は2016年のクラブマン クーパーDに乗ってて、スポーツモードとかで楽しんでるよ。でも、昔のミニと比べたら、あれはドライバーズカーじゃないね」
「うちは2013年のカントリーマン All4 Sに乗ってた。多分、今まで運転した中で最悪の車。サーキット走行用に買ったのに、通勤にすら耐えられなかった。クラッチは5万kmで摩耗。タイヤはキャンバーがきつすぎて、しかも単一方向だからローテーションできず、2万5000kmごとにダメになる。オイル交換のたびにホイールベアリングも交換。バカみたいなナンバープレートの電球交換ですら、ハッチパネルを全部外さないといけないから工賃が500ドルもかかった。うちはその車を「コロンビア号」って呼び始めたよ。スペースシャトルみたいに白黒だったし、アメリカ南東部のあちこちに部品を落としていくからな。廃車寸前でレッカーに乗せられる時、そのオーストリアの血統に敬意を表して「シャイスカステン(※ドイツ語で『クソ箱』)」って名前を付けてやった。ひどい車だった。二度と買わん。ミニの何かがどっかのトップ10リストに入るなんてありえないね。ゴミ埋立地なら別だけど」