【ビミョーな広報写真】フィアット ムルティプラとシート

フィアット ムルティプラは革命だった。まあ、そうなるように意図されていたと言った方がいいかな。MPVマニアのハートのど真中をズキューンと撃ち抜くように発売されたこのクルマは、3人乗りのシートを2列に積み上げ、フォード フォーカスが残した足跡に6人乗りを実現したのである。何トンものスペースを潰すことなく、何トンものスペースを確保した。まさに、天才的。

ただしフィアットは、一つだけ忘れていた。人間というものは、うぬぼれている。「人」というのは、人間を運搬する際に考慮すべき重要な要素である。ファミリーカーの典型的なプロポーションに手を加えることで(子供たちのために、窓を大きくしながら)、フィアットのデザイナーが全面的に力を入れたのが、奇妙な形をしていることだ。購入者が「本当に奇妙だ」と思うように、デザイナーは「これをマジでヘンなものに見せようっと…」と意図し、自分たちの中でクスクス笑っていたに違いない。みんなも昔、唐辛子入りのチョコレートを大量に買ったことがあるでしょ?

しかし、一般の人たちはムルティプラには興味を示さなかった。だって、何十年にもわたって、何よりも美しさにこだわったクルマを作ってきた国が、朝露に耐えうるボディワークを犠牲にして、美しさを除けばすべてが備わっているクルマを出してきたのだから。ルノー セニックの売り上げは急上昇し、ヴォクスホールはわざと保守的なザフィーラ(ムルティプラよりもシートが1つ多く、エンジニアリングはポルシェが担当)を発売したので、突然現れたフィアットの宇宙空間的な奇抜さはあまりにも奇抜すぎて、チャンスをつかむことはできなかった。

それでも、フィアットが「トップギア・カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した「ムルティプラ」の良さに、みんなの注意を引き戻そうとしていることに目をつぶることはできない。例えば、上のプレスショットでは、その革新的なシートプランが、6人の家族がシートに座ることで実証されている(どっかから「史上最高にカッコいいムルティプラ!」という笑い声が聞こえてきそうだ)。

そして、フラットキャップを被った印象の薄い少年の厳しいまなざしがなければ、彼らが幸せそうにしているんだと思い違いをしてしまうだろう。確かに、彼は最前列に座るためのゴールデンチケットを獲得したが、彼は両親が普通の5人乗りのクルマを買ってくれればよかったと思っているのと、彼をセガのゲーム機、ドリームキャストと一緒に家に残してくれればよかったと思っているのとの間でゆらいでいるのが感じられる。

=コメント=
「初めて見た時、NYの現代美術館に置いてあるオブジェかと思ったよ」
「奇妙なのは人間であって、ムルティプラではない 人がクルマを買うのは、デザイナーが婉曲的に感情と呼んでいるものなのである。自我、投影、虚栄心、適合、大脳辺縁系の、くだらないものを丁寧に表現したもの。ムルティプラはそれらを全て捨てて合理性を追求した。天才だったんだよ。人々は、これを望んでいる。彼らに必要なのはムルティプラなのだ」
「将来、この男の子は両親が連れて行ってくれたこと、兄弟と一緒に連れて行ってくれたことを幸せに思うだろう。彼には価値のある思い出になったはず。誰が一人でドリームキャストをプレイしていた頃を思い出したいと思うだろうか?だから、ここに連れてきてもらって、よかったのだ」

トラックバックURL: https://topgear.tokyo/2021/02/29337/trackback

コメントを残す

名前およびメールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ピックアップ

トップギア・ジャパン 063

アーカイブ