コロナ禍を生きる映画界を救った「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」

ダニエル クレイグはかつて、再びジェームズ ボンドを演じるくらいなら「手首を切ってしまいたい」と思っていたと認めた。もっとも、彼は茶目っ気たっぷりに表現したが、『スペクター』が彼の望んだ退役の作品ではないことを強く示唆していた。この作品は、その瞬間はあったものの、おかしな最終幕で脱線してしまった。

間違いなく、『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』はクレイグの映画であり、アクションシーン、素晴らしいロケーション、そしてそう、カーチェイスといったボンドの魅力をふんだんに盛り込みながらも、馴染みのない要素を盛り込んだとてつもない映画である。

ボンド映画は常に爆発的であるが、この映画は見る者の耳をそばだて、目を見開かされ、そして最も重要なのは感情的に横に揺さぶられることだ。これ以上語るとネタバレの領域に入ってしまうが、本作はその起伏の激しさを大画面で最大限に楽しむことができる作品である。

これが重要なポイントだ。『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』は、たとえボンド映画であっても、単なる映画では支えきれないほどの重圧を背負っている。当初はダニー ボイルが監督を務める予定だったが、創造性の違いから降板し、また、ある世界的なパンデミックのために映画の到着が一度だけでなく二度も遅れてしまうなど、決して順調ではなかった。今回の007は、世界と自分の魂を救うだけでなく、映画そのものの救世主であることに気づくのだ。

批評の点数については心配ない。「トゥルー ディテクティブ」などのアメリカのプレステージなテレビ番組を得意とするキャリー フクナガ監督は、ベテランの自信に満ちた態度で大胆なセットをこなし、満足のいく質感のあるルック&フィールを映画に与えている。評価すべき点はまだある。ボンド映画には最高の人材が集まっており、セカンドユニット、スタントコーディネイター、プロダクションデザイナーが見事な仕事をこなしている。スリリングで信じられないほど長いプレ・クレジット・シーケンスでは、アストンマーティン DB5に衝撃的な自由が与えられ、様々なランドローバーのプロダクトが想像力豊かに叩きのめされる。

もちろん秘密や嘘はあるのだが、脚本家のニール パービス、ロバート ウェイド、フィービー ウォーラー=ブリッジの3人は、この作品に深刻な感情的な壁を構築している。ウォーラー=ブリッジは、クレイグに頼まれて起用されたようだが、フェミニストの『フリーバッグ』のような書き換えではなく、また、特別なものでもないけれど、彼女の素晴らしい、毒のあるタッチを感じることができる。ボンドの有名な一発ギャグはいつも成功するとは限らないが、本作では本当に成功しており、絶対的な名言もいくつか出てくる。

映画は、予期せぬ不気味な前奏曲のあと、『スペクター』の続きから始まる。ボンドと愛人のマドレーヌ スワン(レア セドゥ)が南イタリアの町マテラで休暇を過ごしている。太陽の光が降り注ぎ、ソフトフォーカスのシナリオだ。彼女が「もっと早く運転して」と頼むと、ボンドは笑顔で「僕たちには世界で一番時間がある」と言う。これは、1969年の『女王陛下の007』へのファンの回帰であると同時に、これから起こることの前兆でもある。とりわけ、ボンドは自分の過去の重要な部分と和解するためにここに来たのだが、過去は彼と和解する準備ができていないようだ。ベルマーシュ刑務所に収監されたブロフェルド(クリストフ ヴァルツ)がハンニバル レクターのように投獄されていても、スペクターはまだ彼を追っており、その点でスワン博士の家族とのつながりは役に立たない。クレイグが007の無力な怒りを表現しているのを見るのは、初期のハイライトだ。

その後、ボンドはCIAの古い仲間であるフェリックス ライター(ジェフリー ライト)に引退(ジャマイカに素敵な家を持っていて、自分で魚を釣っている)を渋々撤回させられ、スペクターの集会に潜入するためにキューバのサンティアゴに向かう。彼にはパロマ(アナ デ アルマス)という若いエージェントが配属されるが、彼女が出演していた20分間は、正直言ってショー全体を支配していたほどだった。新人エージェントのノミ(ラシャーナ リンチ)もここで見事な活躍を見せ、この見事なコンビは、ボンド映画の世界で長年にわたって書かれてこなかった、お飾りでしかない女性キャラクター像を覆した。(デ アルマスは、Netflixで配信予定のスパイスリラー『The Gray Man』の主役の一人だが、この証拠に、彼女はすべての能力を備えている。一方、リンチは、自分のスピンオフ作品を間違いなく作れるだろう)

とにかく、極悪非道な犯罪シンジケートは、オブルチェフ(デビッド デンシク)という悪徳科学者を介して、ヘラクレスと呼ばれる化学生物兵器を手に入れた。これは、ナノボットを血流に注入し、感染したDNAを毒性があるように書き換えてしまう…。その後、すべてが少し愚かで混乱した方向になり、とんでもない人工眼球も登場してくる。でもね、そんなことはどうでもいいんだ。そもそも誰が本当の責任者なのか、誰が盗んだのか、なぜ盗んだのかという疑問から、世界がコロナの後に再構築されていく中で、プロットはまさに現実にきっちり即したものとなっている。誰も信用せず、何も信じず、影で詮索しない…。そんな感じがよく表れている。

そこには、本作の主要な悪役であるリュシファー サフィン(非常に不気味なラミ マレック)が潜んでいる。サフィンは、スワンやスペクターとつながりがあり、アジア太平洋の離島で毒草の庭を栽培している。ボンドファンにとっては、『ドクター・ノオ』や『007は二度死ぬ』のような響きがたまらなく魅力的で、当然ながら大砲の餌食になることを運命づけられた従順な手下たちの存在も注目だ(職安では誰もそのことを警告してくれないのだろうか?)。 本作では、マレックが007の抑圧された熱い怒りを共有していると主張し、これまでのボンドの超悪役よりもはるかに痛烈にボンドを攻撃している。

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』の一部には、本当にちょっと馬鹿げていたところもある。2時間43分という上映時間が話題になっているが、確かに中盤あたりから少しずつたるんでしまっている。また、トップギア的視点から見ると、過去のボンド作品には、もっと手が込んでいて優れたカーチェイスもあった。しかし、この作品は、これまでの007にはなかった方法で、人の心をつかみ、笑い、そして心温まるものにさせている。信じてほしいのだが、思わず息をのむような場面もある。本当に肌で感じることができる映画だ。

しかし、最終的には、この映画は全力でボンド映画であることに変わりはない。映画がクライマックスに向かって疾走する際のワンショットは、これまでのボンド映画に登場したものと同様に素晴らしいものであり、『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』の核心は愛、真実、和解の物語でありながら、これは007が最も骨の折れる残忍な作品であることを思い出させてくれる。クローズアップされたハンサムな顔が特徴的なクレイグは、セミオートマチックのマシンガンを振り回す姿が相変わらずグレイトだ。

そう、ボンドが映画を救ったのである。彼の魂については、映画が強大な結末を迎えるときに考えてみてほしい。準備はOK?

=海外の反応=
「アメイジング!」
「とても良い率直なレビューだ。昨日、地元のオデオン・ラックスでiSenseを使って見てきたが、素晴らしい映画ではなく、良い映画だと思う。いくつかのシーンは少しお粗末で、上映時期が遅れたにもかかわらず、この間にきれいにすることができたであろう、かなりひどいCGIが目についた。しかし、ポップコーンを手にして、現実を忘れ、3時間近くボンドに没頭して、おそらくダニエル クレイグのボンド映画の中で最も好きな「カジノ・ロワイヤル」を除けばだけど、最高の作品を楽しんでほしい」
「新しいボンド映画はコロナに即して遅れていた。ダニエル クレイグは素晴らしいボンドだった。この最後のクレイグとボンドの映画の最後に、次のボンドが少しだけ映っていたら、もっとかっこいいと思うのだが。しかし、私たちは来年まで待たなければならない」
「これ以上待たされたら発作を起こしてしまう」
「待ちきれないと思っている人はどれくらいいただろうか」

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