日産GT-R 50周年記念:トップギア編集部員のGT-Rとの思い出

TopGear.com 主幹デジタルエディター、ローワン ホーンキャッスル

私の初めてのGT-Rの思い出は、外出禁止の罰を受けたので、今でもよく覚えている。それはホルモン的にも不安定な思春期前のある土曜日の朝だった。全てのGT-Rに勝てるよう、地球上で最もレアなロードゴーイングのGT-R LMを獲得するために、約6時間もグランツーリスモの耐久リーグをプレーしていたのだ。R33のワイドアーチで車高の低いボディに夢中となりいつまででも運転したし、「東京 R246」を走ったこともある。しかしおよそ6時間もの間、ずっとコントローラーを固く握りしめてプレーしていたので、母は我慢の限界を迎えてしまった。うちの母はかんかんに怒って部屋に入ってくるなり、プレイステーションからコンセントを引き抜いたのだ。私は頭にきて、思わず言ってはいけないことを母に言ってしまった。母からの返事は「外出禁止よ!」であった。

そこから15年早送りしてみよう。私は運よくホモロゲーションモデルの特別なGT-Rを1/1で見ることができたが、それは厄介なことの始まりでもあった。日産の素晴らしい座間DNAガレージ(「日産ヘリテージコレクション」)で、私は何度も何度もそのGT-Rを運転させて欲しいと頼み込んだ。だけどそれは到底無理なことであった。日産自動車の前会長・社長兼CEOのカルロス ゴーン氏でさえ、ハンドルを握ることは許されなかったのであるから。しかしそれでも私はどうやってプレイステーションのコントーラーなしでそのGT-Rを運転できるかをひたすら考え続えた。

幸いなことに私は長年GT-Rを運転していた。初めてのGT-Rはル・マンまでのR34だった。私が運転するはずだったブラックキャブがカレーから数マイル離れた場所で爆発したのだ。この話はまた別の機会にしよう。しかしR35に乗り出した時には「トラックバック」の搭載が遅れてしまった。それ以来、アイスランドで走らせたり、NISMOを試乗してみたり、長期間に渡って輝かしいKatsura Orange(イギリスでは、Katsuraが綿菓子の木として、日本の樹木として認識されている)のテーマカラーを運転したこともある。数か月もの間、アイスランドの氷上湖で果てしなくドリフトし、ルーフにスキー板を載せてアルプスを一周走っこともあるし。さらに母親を乗せてフルスピードでスタートを切った時には、今回は母親に、思わず言ってはいけない呼び方をされてしまった。歴史は繰り返されるとはなんと面白いことだろう。日本の「ゴジラ」万歳!

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