【WEC富士 2025】関谷正徳×佐藤万璃音、マクラーレン新旧ドライバーが語る!ル マン制覇の秘話から初優勝の裏側まで

WEC富士でマクラーレンのトークショー開催。伝説のル・マン覇者・関谷正徳とWEC初優勝の佐藤万璃音が登壇。世代を超えた二人が語る栄光の裏側と未来への展望とは。

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WEC富士のイベント広場で、マクラーレンのトークショーが開催された。ステージには、1995年にマクラーレン F1 GTRで日本人初のル・マン24時間レース総合優勝を成し遂げたレジェンド・関谷正徳氏と、2024年から同ブランドのLMGT3マシンで世界耐久選手権(WEC)を戦う若手・佐藤万璃音選手が登壇。モデレーターはレース実況で知られる中島秀之氏が務め、新旧マクラーレンドライバーによる貴重なトークが繰り広げられた。

【プロフィール】

  • 関谷 正徳(せきや まさのり)
    1995年のル・マン24時間耐久レースにおいて、マクラーレン F1 GTRを駆り、ヤニック・ダルマス、J.J.レートとともに出場。日本人ドライバーとして初の総合優勝という歴史的快挙を達成した。日本のレース界におけるレジェンドの一人である。

  • 佐藤 万璃音(さとう まりの)
    1999年生まれ。キャリアの多くをヨーロッパのフォーミュラレースで過ごし、2024年からユナイテッド・オートスポーツのドライバーとしてWECのLMGT3クラスにマクラーレン 750S GT3 Evoで参戦。2025年9月にアメリカで行われたレースで、同クラスでの初勝利を飾った。


伝説の始まりは「立ち話」― 関谷正徳が語るル・マン制覇の裏側

トークショーはまず、レジェンドである関谷氏を招き、30年前のル・マン優勝の記憶を辿ることから始まった。

中島:
1995年にル・マンで優勝された時はマクラーレン F1 GTRでしたが、マクラーレンで出ることになったきっかけは何だったのでしょうか?

関谷:
きっかけは立ち話です。マクラーレンF1 GTRの日本での販売を手掛けていた安川さんという古い友人と、偶然お葬式の席で会ったんです。その時に「トヨタが今年(のル・マン参戦を)やらないから、俺、乗るのがないんだよね」という話をしたら、すぐに動いてくれて。その車(国際開発レーシングのマシン)のオーナーやマクラーレンと話を通してくれて、開発車両だったマシンで参戦する話になったんです。

事前のテストも全くなく、レースウィークの水曜日に初めてマシンに乗ったという。そのマシンの印象は強烈だった。

関谷:
スペック的に難しい車だというのは分かっていました。ホイールベースもトレッドも小さいのに、後ろにBMW製の6リッター12気筒エンジンを積んでいるから、めちゃくちゃリアが重い。「これは手ごわいやつだな」というのが第一印象で、乗ってみたら案の定でしたね。

レースは雨が降ったり止んだりの難しいコンディションとなったが、それが伝説の勝利への伏線となる。

中島:
チームメイトのJ.J.レート選手やヤニック・ダルマス選手とは、何か打ち合わせはされたのですか?

関谷:
「セキヤはあまり乗れていないから、乗せてやるよ」と言われました(笑)。でも、トラブルの修理に時間がかかって、結局あまり乗れませんでしたね。

中島:
レース中に雨が降ってきた時、J.J.レート選手が「(ドライブを)代わってやるか」と言ってきたそうですね。

関谷:
「こいつ失礼なこと言うな」と思いましたよ。だから「大丈夫だよ」と返しました。

レース終盤、トップを走っていたマシンが残り6時間というところでトラブルに見舞われ、関谷氏らのチームがトップに浮上。そのままチェッカーを受け、歴史的な勝利を飾ったのである。

大先輩の偉業と現在地 ― 佐藤万璃音が語るマクラーレン

関谷氏のトークが盛り上がる中、WECアメリカ戦から凱旋した佐藤万璃音選手がステージに登場した。

中島:
佐藤選手は1999年生まれということで、関谷さんが引退する1年前に誕生されたんですね。同じマクラーレンのドライバーとして、大先輩にはどのような印象をお持ちですか?

佐藤:
もちろん大先輩すぎて…。僕が生まれる前からレースをされていて、今年と去年、自分が経験したル・マン24時間レースで30年も前に勝たれたというのは、とんでもないことだなという認識です。

マクラーレンは、ル・マン24時間、F1モナコGP、インディ500という世界3大レースを全て制した唯一のコンストラクターである。その一員として戦う佐藤選手は、先日アメリカで行われたWEC第6戦で見事LMGT3クラス初優勝を飾った。

中島:
初優勝の時のご気分はいかがでしたか?

佐藤:
チームやマクラーレンにとっては非常に価値のある優勝だったと思いますが、実は自分は2位でチェッカーを受けていたんです。レース後に繰り上がりでの優勝だったので、「自分で勝った」という認識は少し薄いですね。でも、日本人として世界耐久選手権のリザルトの一番上に名前が残るのは、すごく誇らしいことだと思います。

中島:
関谷さんが優勝したル・マンと同じように、難しい雨のコンディションでしたね。

佐藤:
自分たちの読みではもっと早く雨が上がるはずが、外れてしまって。ドライバーもエンジニアも、すごく大変なレースの一つでした。

新旧ドライバーが語るマシンの魅力と未来

話題は、現行のマクラーレンのマシンへと移った。佐藤選手が駆る750S GT3 Evoについて、その特徴を語った。

佐藤:
他のGT3マシンと違い、カーボンモノコックが基本になっているのがマクラーレンの大きな特徴です。エンジンの位置なども自分が乗ってきたフォーミュラカーやプロトタイプカーに近く、すごくレーシングカー的な乗り味なので、GT3への移行もスムーズにできました。

一方、関谷氏はそのベース車両である市販モデルの750Sに箱根ターンパイクで試乗したという。

関谷:
750馬力は怖くて使えなかったです。ターンパイクでそんなパワーを使ったら、多分この世にいなくなってしまうくらいのパワーがありますからね。限界性能を試すのはサーキットでないとだめだなと思いました。

トークショーでは、1996年の全日本GT選手権を制したマクラーレンF1 GTRにオマージュを捧げる日本専用特別モデル「750S JC96」や、2027年からWECのハイパーカークラスにLMDH車両で参戦する計画も紹介された。

佐藤:
(ハイパーカー参戦について)まず期待するところは、自分が乗れるかどうかですよね。準備はできています。

関谷:
(参戦時期について)もっと早く出してほしかったな、というのが正直なところですね。ちょっと遅いんじゃないかな?

最後に、ホームレースとなるWEC富士への意気込みを語った佐藤選手。

佐藤:
昨年の富士はトラブルもあって悔しい結果だったので、今年は日本のファンの皆さんの前で表彰台に立つのが一つの目標です。前回のアメリカ戦は結果的に優勝でしたが、悔しい思いもしたので、今回はしっかりとトップでチェッカーを受けて、「自分で勝った」という気持ちで終わりたいです。


レジェンドから若き才能へ、マクラーレンの栄光の歴史は受け継がれていく。世代を超えた二人のドライバーがそれぞれの立場で語る言葉は、ブランドの持つ情熱と未来への期待を感じさせるものだった。富士の空の下で、佐藤選手がどのような走りを見せてくれるのか、大きな注目が集まる。
1995年ル・マンで総合優勝したマクラーレン F1 GTR

 

Project:Endurance

9月に佐藤万璃音選手がWEC初優勝を飾ったサーキット・オブ・ジ・アメリカズ

McLaren 750S JC96 (1996年の全日本GT選手権(JGTC)優勝車へのオマージュモデル)

400号記念:UK400マイルロードトリップ/フェラーリ F80/フェラーリハイパーカー:トップギア・ジャパン 069

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