自動車デザインが最も鋭利だった1970年代。カウンタック誕生のきっかけとなったランチアや、日本の童夢-零、そしてロータリーエンジンを搭載したメルセデスまで。量産化の夢は叶わなかったものの、その後のスーパーカー史に多大な影響を与えた、究極の「ウェッジシェイプ(くさび形)」コンセプトカー9台を紹介する。
フェラーリ モデューロ(Ferrari Modulo)

ピニンファリーナの最も有名なコンセプトカーであるモデューロは、1970年のジュネーブ モーターショーでデビューした。もちろん、自力で動くことはできなかった。モデューロは612 Can Am仕様のフェラーリ 512Sのシャシー上に構築されていたかもしれないが、そのV12エンジンとギアボックスは中身のない抜け殻だった。そこにパワートレインがあるかのような幻想を与えるためだけに存在していたのだ。2014年にピニンファリーナからこのショーカーを買い取った我らが友人、ジム グリッケンハウス(※1)がその点に対処した。現在、この車は完全に機能するV12を搭載しているだけでなく、実際に公道走行が可能だ。そして、我々もこいつを運転したことがある。
ランチア ストラトス HFゼロ(Lancia Stratos HF Zero)

わずか数ヶ月後、ベルトーネはこの車で反撃に出た。驚異的なストラトス HFゼロである。マルチェロ ガンディーニによってスタイリングされ、全高はわずか84cm。モデューロとは異なり、ゼロは完全に機能するプロトタイプであり、廃車になったランチア フルヴィアから移植された狭角1.6リッターV4エンジンを搭載していた。
このコンセプトの目的は、ガンディーニの言葉を借りれば「ランチアとベルトーネの間に架け橋を築くこと」だった。そして、それは達成された。伝えられるところによれば、ベルトーネ氏はこれをランチア本社での会議に持ち込み、到着するやいなや、ゲートが開くのを待たずにセキュリティバーの下をくぐり抜けて入場したという。そして見よ、本物のストラトスの開発が本格的に始まったのである。
画像:RM Auctions
マツダ RX-500

一方その頃日本では、マツダが独自のウェッジシェイプに取り組んでいた。1970年の東京モーターショーで公開されたRX-500は、マツダから自分自身への創立50周年の誕生日プレゼントだった(この時点で、マツダが乗用車を作り始めてからまだ10年しか経っていなかったが)。
一部はコンセプトカー、一部は技術実験車であったRXは、ミッドシップにマウントされた491cc×2のロータリーエンジンを搭載し、15,000回転まで回る247bhp(250PS)を発揮した。それは軽量化の教訓(重量はわずか850kg)であり、加速中は緑、定速走行中は黄色、そしてブレーキ中は赤(当たり前だが)に点灯する実験的なテールライトを備えていた。
現在は広島市交通科学館に収蔵されている。
マセラティ ブーメラン(Maserati Boomerang)

この「特に尖ったモノ」は、マセラティのバッジを付けている。1971年のトリノ モーターショー(70年代のトリノはまさにウェッジシェイプの中心地だった)に先駆けてジウジアーロがスタイリングしたブーメランは、マセラティ ボーラの足回りをベースにしたワンオフのコンセプトカーで、310bhp(314PS)の4.7リッターV8と、186mph(300km/h)前後の最高速度を備えていた。
インテリアは特に狂っており、丸いメータークラスターとその周りを回転するステアリングホイールが特徴だった。ボナムズのサイトにはたくさんの写真がある。ちなみに公道走行可能なこのコンセプトカーは、2015年に300万ポンド(現在のレートで5億8500万円)弱で落札された。
ランボルギーニ ブラボー(Lamborghini Bravo)

1974年にトリノ(他にあるか?)で公開されたランボルギーニ ブラボーは、当時の現行モデルであるウラッコをベースにしていた。凄まじい見た目ではないか? ベルトーネによるランボルギーニ マルツァルとカウンタックのコンセプトは量産化されており、デザインハウスはこのブラボーにも大きな期待を寄せていた。しかし、悲しいかな、そうなる運命にはなかった。ランボはプロトタイプで40,000マイル(約6万4000km)以上を走行させたと言われているが(ブラボーはワンオフだったが、ランボが2台目のテスト車両を持っていた可能性はある)、最終的にこのアイデアを廃棄する決定が下された。
ブラボーのショーカーは、2011年にオークションで60万ユーロ(現在のレートで9600万円)近くで売却されるまで、ベルトーネの所有下にあった。
画像:RM Auctions
童夢 零(Dome Zero)

林みのるは60年代半ばに日本でレーシングカーの製作を始めた。そして1975年、ル マン参戦資金の一部を調達するために少数の公道用スポーツカーを製造する意図で「童夢」を設立した。すべてはこの「零(ゼロ)」にかかっていた。日産製の2.8リッター直列6気筒(L28型)を使用し、重量はわずか920kg、そして見た目は…まあ、ご覧の通りだ。たまげたもんだ。
最善の努力にもかかわらず、童夢は日本で零の販売認可(ホモロゲーション)を取得できず、アメリカでの連邦化を目指した「零 P2」でも同様に成功しなかった。そのため、零が限定生産にさえ入ることはなかった。しかし、童夢は生き残った(JGTCファンならその名を聞いたことがあるはずだ)。その理由は少なからず、この死産に終わったウェッジシェイプの「極めて人気のある」モデルカー(プラモデルやラジコン)を作った玩具会社から支払われたロイヤリティのおかげである。
画像:米沢市
BMW E25 ターボ(BMW E25 Turbo)

信じられないかもしれないが、1972年のBMW ターボ コンセプトの中身は、慎ましい「2002」のシャシーであり、ミッドシップエンジンに対応するように改造されたものだ。BMWの故郷であるミュンヘンで開催された同年の夏季オリンピックを記念して製作されたターボは、後にBMW初のターボ付き量産車である「2002 ターボ」に搭載されることになるのと同じ2.0リッターエンジンを使用していた。
特筆すべき技術には、最先端の発泡充填バンパー、統合型ロールケージ、ABS、クラッシャブルゾーン、側面衝突保護などが含まれていた。また、ターボには(当時としては)先進的なレーダー警告システムも搭載されており、前車に近づきすぎるとドライバーに警告を発した。
シボレー エアロベット(Chevrolet Aerovette)

シボレーはC8(現行コルベット)をリリースする何十年も前から、ミッドシップの「ベット(コルベット)」のアイデアをもてあそんでいた。もしエアロベットが量産されていたら、事態はどれほど違っていたことだろう。
60年代後半から70年代初頭にかけての他のミッドシップ コルベット コンセプトに続き、420bhpの「4ローター コルベット」が1973年に登場し、GMのヴァンケル ロータリー エンジンへの新たな執着を示した。それは最終的に1976年(石油危機によりGMがロータリー計画を中止した時)に「エアロベット」と改名され、代わりにスモールブロックV8が搭載された。なぜなら、70年代のアメリカでは、スモールブロックV8こそが「経済的」な選択肢だったからだ。
伝えられるところによれば、エアロベットは実際に生産のゴーサインが出たものの、シボレーが怖気づいて計画を撤回したという。
メルセデス C111-II(Mercedes C111-II)

C111は1969年のフランクフルト モーターショーで初めて登場した。完全に機能するヴァンケル(ロータリー)エンジンを搭載した実験的プロトタイプで、最先端のガラス繊維強化プラスチック製ボディを持ち、それまで世界が見たことのないメルセデスの姿をしていた。
その後数年間で、あらゆる種類の異なる構成を持つ13台がさらに製造された。1970年に公開されたC111-IIは4ローターのヴァンケルエンジンを搭載し、180mph(約290km/h)以上を出すことができた。焦点はすぐにディーゼルへと移った――C111のオイルバーナー(ディーゼル車)は1976年に、60時間連続で平均156mph(約251km/h)を記録し、16の世界記録を更新した。1979年には、4.8リッターV8を搭載した究極のC111が、ナルド(テストコース)で251mph(約404km/h)を叩き出した。
9台が現存している。そして我々は、そのうちの1台を運転したことがある。
【補足事項】
※1 ジム・グリッケンハウス (Jim Glickenhaus): アメリカの映画監督であり、熱狂的な自動車収集家。自身の名を冠したスクーデリア・キャメロン グリッケンハウス(SCG)を率いてル マンなどに参戦している。ピニンファリーナ P4/5のオーナーとしても有名。
【70年代コンセプトカー】元祖ウェッジシェイプ9選! 童夢-零からゲートを強行突破したランチアまで、幻のスーパーカーたち
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=海外の反応=
「ランチア本社でゲートの下をくぐったエピソード、最高にイタリアンで好きだわ。こういう情熱(と無茶)が名車を生んだんだな」
「童夢-零がラジコンの印税で会社を救ったって話、何度聞いても泣ける。当時のスーパーカーブームの熱狂は凄かったからな。子供心にあの形は衝撃的だった」
「マツダRX-500、広島の交通科学館で見たけど、50年以上前のデザインとは思えない未来感だった。あの頃の日本車メーカーは本当に夢があったよ」
「ストラトス ゼロの低さは異常。84cmって、大人の腰くらいの高さしかないぞ。乗り込むにはフロントガラスを開けて歩いて入るんだよな」
「フェラーリ モデューロ、今はナンバー取得して公道走ってるのが信じられん。グリッケンハウス氏は本物の車好きの英雄だ」




