かつての私の宝物の一つは、マクラーレンMシリーズのCan-Am(Canadian-American Challenge cup)仕様の、欠けてしまってボロボロの模型だった。ターコイズグリーンで、ゴールドカラーのホイールが付いた平べったいマッチ箱のような外見で、フロントガラスにはほとんどなにもなかった。この奇妙な外観のレーシングカーについてより深く理解するために、私はそれを、家の敷地内に広がる空想のレースサーキットで走らせ、本棚の角をえぐり、セントラルヒーティングの無いヨークシャーの農家の、でこぼこの石の床を、ただただ無邪気に走らせていたのだった。 こういったすべてを支配できるという想像の中のクルマの1台を操作していた時、また激しいコーナリングを繰り返していた当時、小さかった私はそれをどう感じ、私にそれはどう聞こえていたのだろうか。
当時5歳の私には理解することができなかっただろう。60年代半ばに表彰台を席巻したマクラーレンの白黒のイメージ(私たちの町にはカラーテレビが無かった)は、農機具を振り回して脛に痣の絶えなかった私と、常に共にい続けてくれたのである。クラシックなマクラーレン Mモデルは、今も尚信じられないくらいリアルで途方も無く危険な存在だ。レーシングカーが持つべきものを全てを備えている。しかし、このマシンを運転することなんてあるだろうか?恐らくそんな日は来ないだろう。
あるいは、あり得るのだろうか?こう、発想の転換ができるところが、新しいマクラーレン エルバの原点といえる部分だ。249人の、スピードに夢中の私のようなノスタルジックなオヤジ(あとは少数の影響力のある男性目線のインフルエンサーくらいか)にとっては、エルバはロマンチック・ラブに包まれて、温められたチョコレートに浸されているような、そんな気分にさせてくれるマシンだ。公式には、これはマクラーレンのアルティメットシリーズの1994年のOG F1に続いて5番目のクルマであり、悪魔のようなP1、物理学を困惑させるセナ、そしてストレッチされたスピードテイルの兄弟分だ。しかし、非公式だけれども、私にとって重要なのは、これは、マクラーレン カンナムの夢を再び感じ、運転できるためのラストチャンスを実現する、自動車産業における現代の再発明である、ということだ。
エルバは、その核となる部分で、ほぼセナの油の染み込んだ部品や電装系部品を採用している。エンジンは同じく危険な香りがする815psツインターボV8を、そしてブレーキも同じく軽量化されたチタンキャリパーピストンを備えた世界初の焼結カーボン(コーナーあたり1kgの節約が可能)が装着されている。 セナのカーボンタブにボルトで固定されているサスペンションは、感覚的かつ非常に巧妙なマルチモードの電気油圧システムを再チューンしたバージョンだ。 しかしこれら多くの特徴のほか、既にエキゾチックとも表現できるスペックシートは、さらにファンタジーとなり、エルバ独自の領域に侵入して行く。
ほぼ無重力のドアがほぼ垂直に開くと、自動車史上最も幅の広い部類のシルを乗り越え、マシンに乗り込み、カーボンバケットシートに身を沈める。 前方に見えるのは楕円形のメーターで、ポッドの両側にある傾斜トグルを介してシャーシモードとエンジンモードの両方にアクセスが可能だ。 通常のマクラーレンの慣習に従って、ヒーターなどを制御するための小さな垂直スクリーンがあり、さらには、15段階に調整可能なドリフトコントロールもついている。 さらに、ダッシュの下にあるアクティブ エア マネジメント システム(AAMS)とブートリリース用のボタンの列も(驚くほど小さい)。と、そんなところだ。
ボディワークは、3つの巨大なカーボンファイバー製の彫刻で構成されており、単なるボディパネルとは呼べない。これらの彫刻は、内部のコンポーネントをしっかりと覆い、コッツウォルズの田園地帯のように、急降下し、膨らんでいる。しかし、すべてのカーブが追加されたとしても、昔のカンナムカーとの類似点はわずかに残っている。先のとがったノーズ、大き目のフロントホイールアーチ、巨大な冷却グリルを備えた膨らんだハンチ。 それはすべてそこにあり、そして「さらに」存在する。「さらに」とは、ロールバーの代わりに、キツいロールオーバープロテクションの機能がある一体型シートハンプ、巨人のトースト立てのように見えるリアスプリッター、レーシングカーでは深いダクトが設置されているボンネットの上に連なる水平スリット線などのことである。
これらのスロットの1つには、エルバの魔法を起こす重要なピースが含まれている。 マクラーレンアクティブエアマネジメントシステム(AAMS)と呼ばれるものだ。このシステムは、アクティブ化されると、オン/オフボタンで切替られる。ちなみに常にオンになってはいない。フロントを流れる空気の中にフラップを約6インチ上げて、運転手と助手席に当たる爆風を軽減する事ができる。 起動すると、50km/h弱でポップアップし、国の制限速度をはるかに超えて上昇し続けることができる。 空気の流れを抑えるように設計されているのだ。 しかし、あなたは先を考えなければならない。運転中ふいに100km/h出していることに気づき、爆風を軽減したいとなった場合、50km/hまで減速して再びポップアップさせる必要があるのだが、これはこのプリプロダクションカーに特有の問題かもしれない。 とにかく、それが任意の速度で使用できるということだ。
もちろん、AAMSが存在する理由とは、フロントガラスがまったく存在しないためだ。ちなみに、これを見るすべての人が、必ず違和感を抱くのだが。オーナーは、後のMモデルのレーシングカーのようにショートタイプの虫除けシールドをスペックで指定することが可能だ。これは、エルバをより本物のレーシングカーに見せるため、多くの人が必要不可欠だと考えるようになるかもしれない。しかし、それはマシンをより日常的に使用できるようにする一方で、スクリーン仕様にするとAAMSが非搭載となる。そのため、スクリーンなしでピュアな外観を望む人がいるということも、まだ理解できる。けれど、そういう人々を見分けるのはカンタンなのだ。彼らは首があるべき場所に上腕二頭筋を持っているのだから。
いかにも、それから逃れることはできないため、エルバを130km/h以上で飛ばした時の絶え間ない爆風は残忍極まらない。 以前、スクリーンのないオートバイで160km/h以上の速さを経験したことがあるが、ここでの経験よりも衝撃が少なかった。今は、できる限り身をかがめてヘルメットをかぶっていても、あたかも戦闘機の一番前に貼り付けられているように感じられるのだ。助手席では、もっと厳しい状況だ。もっとも、人によってはこっちの席のがマシ、と言うのかもしれないが。
短いが非常に果敢に攻めたストレートの後のコーナーに向けてブレーキをかけた– 1,148kgのエルバはセナよりも速く加速する–私の隣に座っているカメラマンのジェイミーをミラーで確認すると、スマイルの絵文字とソニックザヘッジホッグの掛合せたように見える彼の顔は、エルバがここ数年で出たクルマの中で最も楽しいと主張している。それには私も同意だ。
しかし、それは我々が最初に車の鍵を手にしたときの最初の印象からは程遠いものだった。全ての常識人なら、ドライバーに、この最高速度327km/hの屋根のないハイパーカーに乗るときはヘルメット着用を激しく勧めるであろう。だが、それにも関わらず、我々はサングラス以外の保護ツール無しでビバリーヒルズの道に繰り出す。AAMSがなくても大丈夫なはず? それは違う。65km/hの速度でさえ、風が私たちの帽子を引っ張り、私たちの目に涙があふれてくる。 これは良くない。
AAMSボタンを押すと一瞬で快適になるのだが、ややもすれば信じていただろう、恐ろしく静かなプールのような落ち着きというものは、そこに無い。 恐らく、もう少し速く走ればスムーズさは増すと思う。 しかし、ごく普通の速度で405号線を30km走っていても、片手で帽子と眼鏡を頭に抑え付けながら、涙を流した後、結論はもう明らかだった。 私たちは何か大事な事を見逃していたのだろうか、それとも、マクラーレンは世界で最も速くて、最も強力で、最も高価なヘアドライヤーを作ったとでもいうのだろうか?
そして、ちょっとした困惑を感じながら、私たちはあきらめてエンジンを止め、帽子をヘルメットと交換し、峡谷に向かった。すると突然、高速道路や町中で難儀であったものがすべて、ボーナスへと変わった。 ヘルメットをかぶるだけで、大きな問題をそらせてくれるので、このマシンの信じられないほどの落ち着き、パワー、精度について、集中して探索することができるようになったのである。 私はこの場所の道路を20台以上のクルマで何百回も運転したことがあるので、アルファベットのように知りつくしている。 そしてエルバはいとも簡単にその経験値を破壊したのだった。
ステアリングのフィーリングと確実性は、私が今まで感じた中で最高であり(もちろんロードタイヤを履いた状態でも)、路面とのコンタクトは完璧だ。スポーツモードのサスペンションは、ミリメートル単位で判断され、あなたに何が起こっているのかを知らせるのに十分な道路データをフィードバックし、ディテールを滑らかにするが、決して窒息させることはない。 そして、エンジンは絶大な存在だ。 壮大なレスポンス、尽きることのないパワー、排気の亀裂音を伴う急速なギアチェンジ…それはまさにクルマの中にある、最も洗練された宝石のように感じられる。 何かと比較するならば、ロータスエリーゼの兄貴のような感じがする。
しかし、それだけではない。 風を遮るスクリーンがないため、五感はすべて、最高の緊張状態にある。 通り過ぎる田園地帯、ストロベリーシェイクを吸う前の男、馬、コーヒーショップ、海の匂い。 また、山道を走らせると、空気の寒暖差を鋭敏に感じることができる。 それは、全ての体験を完全に魅力的で楽しいものにしてくれるのだ。
バイクの事は知り尽くしているつもりだったが、一瞬で何台ものバイクを抜き去ることのできるクルマで同じ感覚が得られるなどというのは、これが始めてだ。
だからこそ、エルバは勝者なのだ。誰もが望まないようなアルティメットシリーズのできそこないなどではない。それどころか、純粋にF1の次に来る、私の最初の選択肢になるであろう。特に、マクラーレンのMSO部門を説得して、風化してしまったターコイズのようなグリーンにいくつかのチップを加えて塗装し、クラシックなゴールドホイールのセットが装着されることができればなお良し、だ。成功を祈っている。 とっておきのカンナム仕様マクラーレンを現実に運転できるのを私は待ちこがれていたのだ。そのための道路やサーキットを、私は何十年もかけて頭の中で準備し、温めてきたのだから。
マクラーレン エルバ スペック
価格:1,430,000ポンド(2.2億円)
エンジン:4.0リッター TT V8, 815ps, 800Nm
トランスミッション:7速 DCT, 後輪駆動
性能:0-100km/h 3.0秒(推定)
最高速度:327km/h
重量:1,148kg