F1マシンと高級時計のコラボレーションは数あれど、ここまで異常な執着を見せるモデルは稀だ。H.モーザーとアルピーヌ モータースポーツが放つ最新作は、極限まで削ぎ落とされたスケルトン構造と、永遠に劣化しないセラミックケースを融合。1695万円超、世界限定100本というこの狂気的なタイムピースは、我々クルマ好きの心をどう抉るのか。その恐るべき全貌を紐解いていく。
モータースポーツ、とりわけF1という魔窟と、スイスの高級時計ブランドとの「コラボレーション」という言葉を聞いて、我々のようなひねくれたクルマ好きは、とりあえず一度はため息をつくのが作法というものだ。大抵の場合、それは既存の人気モデルの文字盤に、取ってつけたようなチームのロゴを貼り付け、ステッチの色を少し派手にしただけの代物だからである。「我々のDNAが融合した……」などという耳障りの良いプレスリリースを読むたびに、それが単なるマーケティングの産物であることを痛感させられる。
だが、今回ばかりは我々の浅はかなシニシズムを一旦クローゼットの奥にしまっておく必要がありそうだ。スイス・シャフハウゼンに拠点を置く異端にして孤高の独立系マニュファクチュール、H.モーザー(創業者のハインリッヒ モーザーに由来する)と、アルピーヌ モータースポーツが手を組んだ第3弾の作品は、単なるステッカー・チューンとは次元が違う。彼らが今回発表した「ストリームライナー・トゥールビヨン スケルトン セラミック アルピーヌ リミテッドエディション」は、クルマで言えば、エアコンもオーディオも遮音材もすべて引っ剥がし、カーボンモノコックのシャシーをむき出しにした挙げ句、そこに芸術的な手彫りの装飾を施したような、狂気に満ちたタイムピースなのだ。
まず、この時計の主役とも言える「素材」について語らねばなるまい。現代のモータースポーツにおいて、素材選びは勝敗を分ける絶対的な要素である。しかし、レーシングカーに使われるカーボンファイバーは、軽く強靭である反面、限界を超えれば粉々に砕け散るという儚い運命を背負っている。F1マシンは基本的に、日曜日の午後に数時間だけ完璧に機能すればよく、数年後の美しさなど誰も気にしない。
ところがH.モーザーは、このモータースポーツの「刹那的な哲学」に真っ向から反旗を翻した。彼らが選んだのは「アンスラサイトグレーセラミック」である。セラミックと聞いて、実家の食器棚にあるティーカップを想像したなら大間違いだ。時計製造におけるハイテク・セラミックは、ダイヤモンドに次ぐ硬度を持ち、加工段階で工作機械の刃を次々とオシャカにする悪夢のような素材である。しかし、一度成形と焼成が完了すれば、信じられないほどの軽さを誇りながら、傷がつくことはほぼなく、酸化も変色もしない。つまり、永遠に新品の姿を保ち続けるのだ。F1マシンが毎戦ごとに使い捨てられるのに対し、このセラミック製ストリームライナーは、あなたがこの世を去った後も、一切の経年変化を見せることなく輝き続ける。この残酷なまでの永遠性こそが、この時計に宿る最大の皮肉であり、魅力でもある。
次に注目すべきは、その特異なケース形状だ。直径40.0mmのケースは「ストリームライナー(流線型)」の名が示す通り、1930年代の空力実験車や、かつての葉巻型フォーミュラカーを彷彿とさせる、一切の角を持たない滑らかな曲線で構成されている。この有機的なフォルムを、加工が極めて困難なセラミックで、しかもポリッシュ(鏡面)とサテン(筋目)仕上げを交互に施して立体感を生み出しているのだ。これは、チタンの塊から手作業でV12エンジンのエキゾーストマニホールドを削り出すような、常軌を逸した労力の結晶である。
そして、その頑強な甲冑の奥に覗くのが、このモデルの心臓部である自動巻きキャリバー「HMC814」だ。「スケルトン」と呼ばれるこの仕様は、ムーブメントの金属部分を極限まで肉抜きし、内部構造を透かして見せる技法である。かつてロータスの創設者コーリン チャップマンは「軽量化して、シンプルにしろ」と語ったが、H.モーザーのエンジニアたちも同じ病に罹っているらしい。彼らはパーツの強度を維持できるギリギリのラインまで金属を削ぎ落とし、時計の鼓動を完全に視覚化してしまった。
さらに驚くべきは、このスケルトン化されたブリッジとメインプレートに、アルピーヌの象徴である鮮烈なブルーの仕上げが施されていることだ。深みのあるグレーのセラミックケースと、内部で複雑に絡み合うブルーの機械部品のコントラストは、まるで現代のLMDhハイパーカーのリアカウルを開け、精緻なハイブリッド・パワートレインを覗き込んだときのような、無機質でありながら官能的な美しさを放っている。
文字盤の6時位置で静かに、しかし力強く回転し続けるのは「ミニッツフライングトゥールビヨン」である。重力という時計の精度を狂わせる目に見えない敵と戦うため、脱進機全体を1分間に1回転させるこの複雑機構は、いわば時計界における「アクティブ・エアロダイナミクス」だ。しかも、このトゥールビヨンには、姉妹会社であるプレシジョン・エンジニアリング社が専用設計した「ダブルヘアスプリング(ヒゲゼンマイを2枚重ねたもの)」が採用されている。これにより、ゼンマイが伸縮する際の重心のズレを物理的に相殺し、極限の精度を実現しているのだ。これはもはや、完全なバランスを追求した水平対向12気筒エンジンの設計思想そのものである。
インデックス(時刻の目盛り)と針にも、ただの蓄光塗料でお茶を濁すような真似はしていない。セラミックをベースにスーパールミノヴァ(発光塗料)を注入した「グロボライト」と呼ばれる立体的な素材を採用し、まるで深夜のル・マンを走るレーシングカーのLEDヘッドライトのように、暗闇の中で鮮烈に浮かび上がる。そして、この工芸品を腕に固定するのは、レーシングカーのステアリングやフルバケットシートでお馴染みのアルカンターラ素材を用いた、ブルーの一体型ストラップだ。ここまで来ると、H.モーザーの開発陣は全員、血の代わりにハイオクガソリンが流れているのではないかと疑いたくなる。
さて、この狂気に満ちた手首用レーシングマシンの対価について触れておこう。予価は16,951,000円(税込)。2026年12月頃の入荷予定で、世界限定わずか100本である。約1700万円といえば、アルピーヌの現行ラインナップを複数台ガレージに収めることもできるし、状態の良いポルシェのGTモデルの中古車を探すことすら可能な金額だ。
しかし、冷静になって考えてみてほしい。車検もなければ、タイヤ代もかからず、ハイオクを注ぐ必要もない。そして何より、どれだけ過酷に日常使いしようとも、このアンスラサイトグレーセラミックは決して傷つくことなく、1分間に1回転するトゥールビヨンは重力を切り裂き続けるのだ。
これはもはや、単なる時間を確認するための道具ではない。モータースポーツの極限のエンジニアリングに対する、H.モーザーからの最高にシニカルで、最高に美しく、そして途方もなく高価なラブレターである。我々としては、この圧倒的な職人技と素材への異常な執着に対し、ただただ脱帽し、ひれ伏すしかないのである。



