マリナーによる緻密な手作業を経て2年後に完成予定
ベントレーの1929年製チーム ブロワーが12台限定で復活する。先に言っておくが、価格は未定で、2年後くらいに判明の予定。手掛けるのは、本家本元のベントレー マリナーのスペシャリストたちだから、そんじょそこらのレストアとは訳が違うのだ。リバースエンジニアリングを駆使し、超絶レストア技術で復活するブロワー、とても楽しみだ。
1929年にティム・バーキン卿の依頼によって製造されたスーパーチャージャー付き4½リッターブロワーが、戦前のレーシングカーを忠実に再現し、「継続」の意を込めた「コンティニュエーションシリーズ」として、世界初登場する。
1920年代後半、バーキン卿のレースチームのために製造されたオリジナルのチーム ブロワーは4台のみ。4台ともヨーロッパ各地のサーキットで活躍したが、最も名を馳せたのはバーキン卿自身がステアリングを握った2号車、登録番号UU 5872だ。この2号車は1930年のル・マンに参戦し、ベントレーワークスチームのスピード シックス優勝の立役者となった。今回、この1929年製チーム ブロワーをベースに、何世代も受け継がれてきた職人技と最新デジタル技術を組み合わせ、オリジナルのチーム ブロワーである4台が参戦したレースへのオマージュを込め、12台が忠実に復刻される。
まずは、ベントレー所有のチーム ブロワー、シャシー番号HB 3403を分解し、各パーツを一覧にまとめ、細心の注意を払って3Dスキャナーで測定し、完璧なデジタルモデルを作成する。
次に、オリジナルモデル製造時に使用された1920年代の金型と治具、伝統的な工具に加え、最新の製造技術を使用して12台分のパーツを製作します。そのパーツをベントレーの熟練工らが組み立て、新しいブロワーが誕生。12台の復刻モデルは、メカニカルな面もルックスの面も、そしてオリジナルが持つスピリットでさえも、可能な限り当時のままを引き継ぐというわけだ。安全性に関してのみ、目立たない部分でわずかに現代のシーンに合わせた変更が加えられており、当時の面影を損なうことはない。
その後、オリジナルモデルは名車担当チームによって詳細に点検され、必要に応じて丁寧にメンテナンスをされた上で、元の姿に戻される。誕生から90年を迎えるオリジナルモデルは、今も現役で公道を走行している。今年のミッレミリアを完走したほか、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードではヒルクライムを走行し、カリフォルニアの海岸近くにあるラグナセカサーキットではパレードに参加した。2019年のペブルビーチ・コンクール・デレガンスで他の2台のチーム ブロワーと共に堂々たる姿を披露したのも記憶に新しいところだ。
この復刻モデルは、ベントレーの第3世代グランドツアラーにチーム ブロワーへのオマージュを込めて製作したコンチネンタル GT ナンバー 9 エディションに続き、マリナーが手掛ける最新プロジェクトだ。100台のナンバー 9 エディションは、一台一台のダッシュボードにオリジナルモデルのパーツの一片が埋め込まれているのが特徴で、発表直後に完売となった。
オリジナルのチーム ブロワーの復刻版となるコンティニュエーションシリーズの各車には、4気筒16バルブエンジン、アルミニウム製クランクケース、鋳鉄製シリンダーライナー、取り外し不可能な鋳鉄製シリンダーヘッドが装備される。スーパーチャージャーは、アムハースト・ヴィリヤース製ルーツ式Mk IV型スーパーチャージャーの精巧なレプリカとなり、このスーパーチャージャーのおかげで4398ccエンジンの出力が向上し、4200rpmで240bhpを発生する。車体構造には、プレススチールフレームと半楕円形のリーフスプリング式サスペンション、そしてベントレー &Draper製ダンパーのコピーが採用される。さらに、ベントレー-Perrot製の40cmのメカニカルドラムブレーキ、ウォーム&セクターステアリングを再現し、シャシーが完成していく。
そんなマリナーの緻密で、記の遠くなるような作業により、12台のコンティニュエーションシリーズが完成するのは約2年後の予定だ。価格は受注開始時に決定する。
スーパーチャージャー付き4½リッターブロワーは、戦前のベントレーの中で一際鮮烈な印象を残したが、残念ながら、耐久レースで優勝したことは一度もなかった。だが、ブロワーは紛れもなく当時最速のレースカーであり、007シリーズの作者であるイアン フレミングもブロワーに魅了された一人だった。フレミングの小説では、主人公のジェームズ ボンドが乗るボンドカーにブロワーが登場し、イギリスのライバルメーカーのスポーツカーはボンドが所属する秘密情報部MI6の「社用車」という設定になっている。
ブロワーは、当時活躍したレーシングドライバーでありベントレーボーイでもあったティム バーキン卿のスピードへのあくなき追求心から誕生した。W.O. ベントレーは排気量を3リッターから4½リッター、6½リッターへと上げることでスピードアップを図ったが、バーキン卿が注目したのはイギリスのエンジニアであったアムハースト ヴィリヤースの設計によるルーツ式スーパーチャージャーだった。このスーパーチャージャーを搭載することによって、レース用チューニングを施した4½エンジンの出力が130 bhpから240 bhpに向上したのだ。 当時ベントレーの会長であったウルフ バ-ナートはバーキン卿の要請を受け入れて生産を許可し、スーパーチャージャー付き4½リッターが計55台生産され、内5台がレースに参戦することになった。レースに参戦した内の4台は、裕福な女性篤志家であったドロシー パジェの資金援助を受け、ウェリン・ガーデン・シティにあったBirkin & Co'sワークショップで「チームカー」として製造されたものだった。ベントレーが所有しているUU 5872は、この4台のうちの2号車である。
UU 5872は1930年のアイリッシュグランプリでレースデビューを果たし、その時のドライバーはバーナード・ルビンだった。同レースにバーキン卿は1号車UU 5871で参戦している。どちらのマシンにもイギリスのコーチビルダーHarrisons製のフレキシブルな4ドアボディが架装されていた。結果はルービンが8位、バーキン卿が3位。同年8月、ルービンはUU 5872でアルスターTTレースにも参戦しましたが、マシンが横転。幸い、彼自身は無傷で脱出できた。
ルービンがクラッシュさせたUU 5872は修復され、1930年5月のブルックランズ・ダブル・トゥエルブ・レースに出場するため、新たに9フィート9インチのシャシーとVanden Plas製ボディが取り付けられた。同レースではティム バーキン卿とジーン シャサーニュがステアリングを握ったが、シャシーフレームが破断し、リタイアとなる。
1930年のル・マン24時間レースでは、メルセデス・ベンツがルドルフ・カラツィオラとクリスチャン ヴェルナーをドライバーに擁し、スーパーチャージャー付き7リッターのSSKで参戦。前年の覇者であるベントレー Motorsは、ワークスチームが3台のスピード シックスでこれを迎え撃つ。バーキン卿のチームからも3台のブロワーが出場し、バーキン卿自身が2号車のドライバーを務めた。
レースは序盤から大混戦。画家ブライアン・ド・グリノーの絵には、ミュルザンヌストレートを疾走するバーキン卿のUU 5872がタイヤ2本を草の上にはみ出させ、すり減ったリアタイヤで、カラツィオラのメルセデス SSKを追い抜く様子が描かれている。バーキン卿はピットインするまでカラツィオラに先を譲ることはなかった。
このレースでベントレーは「ウサギとカメ」の戦略でライバルを出し抜いたとも言われている。つまり、バーキン卿がカラツィオラを限界まで追い詰め、メルセデスをリタイアさせたという訳だ。レース後に語られたこうした逸話の真偽はともかく、カラツィオラのメルセデスは事実、エンジンが水漏れを起こし、リタイアを余儀なくされた。結局、チェッカーフラッグを受けたのは、ウルフ バーナートとグレン キドストンが駆ったスピード シックスでした。
UU5872最後のレースとなったのは、1930年10月のブルックランズ500ハンディキャップレースであった。ドクター・ダッドリー・ベンジャフィールドとエディ ホールが平均時速112.12マイル(180km/h)を記録し、ハンディキャップ適用で2位に入った。1931年5月、UU 5872がバーキンのチームで戦ってきた他のブロワーと共に売りに出されるという広告がMotorSport誌に掲載された。
どれも時速125マイル(200km/h)という走行性能を保証されたレースカーだった。2号車は1960年代に一度レストアされ、現在もほぼオリジナルの状態で保管されている。2000年以降はベントレー Motorsの所有となり、外観に若干のメンテナンスが施されているが、バーキン卿がステアリングを握った当時の姿とほとんど変わることはない。2号車は現代もミッレミリアに5回参戦しているほか、ル・マンまでの行程を何度か走行しており、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードやペブル・ビーチ・コンクール・デレガンスでもその走りを披露している。
ベントレー ブロワーコンティニュエーションシリーズはサロン・プリヴェ・コンクール・デレガンスにてベントレーのエイドリアン ホールマーク会長兼CEOによって発表された。「ベントレーが100周年を迎えた今年、過去を忠実になぞりつつ、最新鋭のデジタル技術を用い、私どもは非常に素晴らしいものを作り上げようとしています。4台のチーム ブロワーは世界で最も価値あるベントレーであり、貴重なオリジナルを傷つけることなく、実際に運転できて、楽しめて、大切にできる復刻モデルを望む声にお応え致します」
「12台の新しいブロワーは、当社の伝統へのオマージュであるだけでなく、マリナーの卓越した職人技の結晶でもあります。当社にとっては新たな挑戦となりますが、先頃1939年製Cornicheの復元に成功したことを足掛かりとし、さらに一歩進んで何か特別なものを製作したいという想いが私どもにはありました。まもなく、12人の幸運なお客様にベントレーの歴史的モデルをお届けできることを喜ばしく思います」
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