霊峰富士で1000馬力の怪物たちが鼓膜を劈く数日前、都内の洗練されたカンファレンスルームは、高オクタン価のガソリンとフレンチ プライドの香りに満ちていた。トップギア ジャパンは、アルピーヌ本国首脳陣が登壇した「Alpine Next Stage」に出席した。元フェラーリの伝説的エンジニア、フィリップ クリエフCEOらが語る不変のDNA「軽さ(Lightness)」と、ブランドの命運を懸けた「ドリーム ガレージ」の全貌を、英国流の皮肉と極上の愛を込めて解き明かそう。
富士の喧騒の前に。洗練された東京で語られる「フレンチ サヴォアフェール」の毒気
週末になれば、富士スピードウェイのパドックは間違いなく狂乱の渦に包まれるだろう。カーボンの焼ける匂い、怒号のように飛び交うフランス語の無線、そして冷え切ったスリックタイヤを無理やり路面にねじ込もうとするドライバーたちのサバイバルダンス。だが、我々トップギア ジャパンの取材班は今、それらの泥臭い喧騒から遠く離れた、都内の冷暖房が完璧に効いた洗練されたカンファレンスルームに座っている。
2026年9月24日、WEC(FIA世界耐久選手権)富士6時間レースを目前に控えた東京で、アルピーヌ本国主催のプレスカンファレンス「Alpine Next Stage」が幕を開けた。登壇したのは、コミュニケーション バイスプレジデントのアメル ブバーヤ氏、そして最高経営責任者(CEO)のフィリップ クリエフ氏だ。
パリのオートクチュールのように仕立てられたプレゼンテーションの冒頭、マイクを握ったブバーヤ氏は、フランス特有の誇り高き美意識に、モータースポーツという名の猛毒をどうやって一滴垂らすのかを語り始めた。
「我々の歴史は1955年、ジャン レデレによって始まりました。彼の哲学は明快でした。巨大なエンジンパワーに頼るのではなく、俊敏性と『軽さ(Lightness)』、そして何よりも『ドライビングプレジャー(Driving Pleasure)』を追求することです」
そう、これこそがアルピーヌの神髄だ。ドイツ車のようにアウトバーンを矢のように突き進む重厚な装甲車でもなく、大排気量のV12エンジンでオペラを歌い上げるわけでもない。彼らが求めるのは、アルプスの曲がりくねった峠道を、羽のように軽い車体でヒラヒラと舞うように駆け抜ける快感である。
「我々のブランドのDNAは、フレンチ サヴォアフェール(フランスの卓越した技 美意識)と、アンチ コンフォーミズム(反骨精神)の融合にあります。A110のラインナップ、特に最も過激な『A110 R Ultime』は、その哲学の究極の体現なのです」
単なる高級品を作りたいわけではない。主流(メインストリーム)のラグジュアリーに対する痛烈なアイロニーを含んだ、フランスの反逆児。それがアルピーヌというブランドの現在地だ。
A110生産終了の衝撃と、「ドリーム ガレージ」という名の大バクチ
続いてステージの中央に立ったのは、CEOのフィリップ クリエフ氏だ。数々の傑作スポーツカーのシャシーを世に送り出してきた伝説的エンジニアであり、仕立ての良いスーツを着こなすその眼光は、技術者特有の冷徹なリアリズムと、ビジネスリーダーの野心に満ちていた。
彼は会場を見渡しながら、極めて冷静に、我々愛好家にとっては少しだけ胸が締め付けられるような事実を口にした。
「2026年6月をもって、第2世代となるアルピーヌ A110の生産は終了しました。ディエップ工場で生産されたA110は累計35,450台。そのうち第2世代は28,701台を記録し、実に58%の顧客が象徴的なアルピーヌ ブルーを選びました」
あの奇跡のような内燃機関スポーツカーが、ついにラインオフを迎えたのだ。しかし、感傷に浸る隙をクリエフCEOは与えない。「ブランド価値が初めて10億ドルを突破した」という強烈なビジネスの成果を掲げた彼は、次なる一手を示した。
「現在、我々は世界で251の店舗を展開していますが、A110という単一モデルのラインナップに頼っている状態です。我々が真のグローバルブランドへと成長するためには、次のステップ、すなわち『ドリーム ガレージ』の構築が不可欠なのです」
「ドリーム ガレージ」。なんと甘美で、かつ恐ろしい言葉だろうか。それはつまり、軽量ピュアスポーツという安全なニッチ市場から飛び出し、巨大な資本が血で血を洗うメインストリームの戦場へ打って出るという事実上の宣戦布告である。
「我々は今後、ラインナップを劇的に拡大します。まずは日本に2026年第4四半期に上陸するBセグメントの電動ホットハッチ『A290』。続いてCセグメントのスポーツファストバック『A390』。そして、次世代のフル電動『A110 フューチャー』へとラインナップを拡大していくのです」
ここで我々ペトロールヘッド(ガソリン中毒者)の頭には、けたたましい警報が鳴り響く。EV(電気自動車)だと? 重たいバッテリーを床下に敷き詰めた家電のような代物で、どうやってジャン レデレが愛した「軽さ」と「俊敏性」を維持するというのだ? クリエフ氏自身、その矛盾は百も承知だった。
伝説のシャシー エンジニアが明かす「APP」の全貌と重力への反逆
「電動化への移行は避けられません。しかし、我々はアルピーヌのDNAを決して失いません。新たな『APP(アルピーヌ パフォーマンス プラットフォーム)』を駆使し、EVになっても、我々の命である『俊敏性(Agility)』を必ず実現してみせます」
重力という絶対的な物理法則への挑戦状。クリエフCEOがスクリーンに映し出したAPPの透視図は、彼の言葉が単なるハッタリではないことを証明していた。
そこには、スポーツカーの挙動を根本から変える技術が詰め込まれていた。2シーターのクーペモデルでは、後輪駆動(RWD)をベースにバッテリーを車両の前後(フロントとリア)に分割配置。さらにリアには2つの電気モーターを独立して配置する「デュアルリアEPT」を採用するというのだ。
「限界域(ON THE EDGE)での完璧なバランスを実現するためです。さらに、我々が独自開発した『アルピーヌ アクティブ トルク ベクタリング2.0』と『ホイールスリップトルク制御』により、コーナー進入時と中間旋回でのアンダーステアを徹底的に低減させます」
左右のリアモーターのトルクをミリ秒単位で独立制御し、重い車体を強制的にイン側へと巻き込ませる。それはドライバーの腕を補う安全装置ではなく、物理的な重さを電子の力で「羽」に変えるための、狂気じみたデジタルの魔法だ。シャシーダイナミクスを知り尽くした彼だからこそ描ける、冷酷なまでに緻密なアンサーである。
GUCCIが彩るF1の未来と、モータースポーツのDNA
そして話題は、週末に控えたWEC、そしてF1というモータースポーツ活動へと移る。世界最高峰のハイパーカーやF1マシンを走らせるには、文字通り天文学的な資金をストーブに放り込んで燃やすような予算が必要だ。市販EVの開発に莫大なコストがかかるこの時期に、なぜ彼らはレースを続けるのか?
「ブランドの認知度のためです。アルピーヌという名前をグローバルに浸透させるために、これほど強力なコミュニケーションツールは他にありません」
さらなる驚きは、彼らが提示した新たなパートナーシップだ。2027年から、なんとあの世界的ラグジュアリーブランド「GUCCI(グッチ)」がアルピーヌF1チームをスポンサーするというのである。モータースポーツの荒々しさと、ハイエンドファッションの融合。さらに彼らは、従来の440gから275gへと劇的なダイエットを果たした「超軽量レーシングスーツ」も発表した。どんな小さな布切れ一枚でさえ「軽さ」に執着するこの姿勢は、狂気的であり、同時にひどくアルピーヌらしい。
「同時に、モータースポーツは最高の技術ラボラトリーです。率直に言って、レーシング部門と市販車部門の部品が直接共通化されるようなことはありません。しかし、F1で培われたシミュレーション技術や熱マネジメントの手法こそが、我々の強力な武器になるのです」
内燃機関の亡霊と冷酷なリアリズム:水素エンジン「アルペングロー」の夢
「ドリーム ガレージ」によって、アルピーヌがEVの波に飲み込まれていくことは避けられない。我々ペトロールヘッドは、あのガソリンが爆発する野蛮で官能的な咆哮を永遠に失ってしまうのだろうか?
だが、クリエフCEOは我々の魂を完全にEVの祭壇へ生贄に捧げるつもりはないらしい。彼は、内燃機関の亡霊を呼び覚ます切り札として、水素燃焼エンジンのプロトタイプ「Alpenglow(アルペングロー)」の名を挙げた。
「我々はEV化を推進する一方で、水素燃焼エンジンの可能性を真剣に探求しています。内燃機関が放つサウンドとエモーションを、CO2排出ゼロで実現する理想的な形です」
あの耳をつんざくようなエキゾーストノートが生き残るかもしれない。その言葉に会場の空気が少しだけ温まった瞬間、天才エンジニアは再び冷徹な顔に戻り、我々の前に巨大で冷たい氷の壁をそびえ立たせた。
「技術的には可能ですが、現実のビジネスとしては別の話です。圧倒的にインフラが不足しているからです。一般の乗用車が街角で手軽に水素を充填できる環境など存在しません。燃料を補給できない車を市販することは不可能です。アルペングローの市販化については、インフラの整備状況を見極めるという冷静な判断を下さざるを得ないのです」
夢を語る技術者でありながら、決してソロバンを弾くことを忘れないリアリスト。クリエフCEOの言葉には、一切の自己欺瞞がなかった。
反逆の青き矢は、富士へ、そして新時代へ
A110という単一モデルのニッチブランドから、「ドリーム ガレージ」という多様なラインナップを擁するグローバルブランドへの脱皮。それはアルピーヌにとって、ブランドの命運を賭けた巨大なバクチだ。
「この日本での成功は、我々にとって大きな自信です。我々は、2026年末までに世界中でアルピーヌの店舗を300店舗に拡大する目標を掲げています。日本市場は、我々のグローバル戦略の羅針盤なのです」とクリエフCEOは語る。
ドイツ勢が支配するメインストリームのラグジュアリー市場に、フランスからやってきた反骨の職人たちが殴り込みをかける。彼らの武器は、「軽さ」と「ドライビングプレジャー」、そして「アンチ コンフォーミズム」という猛毒だ。
「もうじきA110の新たな姿となるスカルプチャーを公開し、追ってその全貌を明らかにします」
クリエフCEOの力強い予告とともに、カンファレンスは幕を閉じた。
冷暖房の完璧に効いた東京のカンファレンスルームを出ると、外は相変わらずの冷たい雨が降っていた。ここから西へ100キロほど離れた静岡の山奥では、今頃、カーボンファイバーの塊たちが冷え切ったスリックタイヤを履き、残酷な耐久レースに向けてサバイバルの準備を進めているはずだ。
F1という巨大な広告塔でブランドを世界に刻み込み、WECという極限の実験場で技術の限界に挑む。そして、そのすべてを市販車という究極の作品へと昇華させる。
アルピーヌの反逆の青き矢は、いよいよ霊峰富士の深い霧の中へ、そして自動車産業の新たな時代へと放たれようとしている。彼らが週末の富士スピードウェイで、そして数年後の公道で一体どんなフレンチ マジックを見せてくれるのか。我々トップギア ジャパンは、その結末を見届けるために、豪雨のサーキットへとアクセルを踏み込むのだった。




