【追悼】オジー オズボーン、逝く “暗黒の王子”が愛したクルマと、破天荒なカーライフ伝説

“暗黒の王子”が、その76年の生涯に幕を下ろした。数々の名車を乗り継いだ彼だが、ここに、彼の全盛期の姿がある。英国の片田舎、一台のボルボと共に。

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オジー オズボーンは、クルマが好きだった。「あれは1970年代のいつか、イングランドの高速道路を走っていた時のことだ。早朝だった」と、彼は昨年語っている。「俺は、タンクが2つ付いたジャガー XJ12に乗っていた。片方のタンクが空になったら、もう片方にカチッと切り替えるんだ…まるで飛行機みたいだったな」

「時速130マイル(209km)くらいで走っていたら、突然頭にこんな考えが浮かんだんだ。『もし今、パンクでもしたら、お前は終わりだ』ってな」言葉を飾らない男だった、オジーは。

すでに何かのメディアでお読みになったことだろうが、“暗黒の王子”が亡くなった。76歳だった。イングランドの最も有名な息子の一人である彼は、ヘヴィメタルを開拓し、数々のヒット曲を生み出しただけでなく、ブラック・サバスと共に、数え切れないほどの後進に影響を与えた。コウモリも、お好きだったようだ。

昨年、自身の番組で、オジーは彼のカーヒストリーの断片を明かした。最初のクルマはトライアンフ・ヘラルドで、その後レンジローバーに格上げし、そして新品のメルセデス280SEでビッグリーグ入りを果たした。「ビューティフルだった」と、彼はそのクラシックなベンツについて語っている。

しかし、そのクルマは疫病神だった。「まず、買ってからたった3週間で、前の奥さんが子供を学校に送っていく途中でぶつけやがった」と彼は言う。「それから修理に出して、修理待ちの間に、誰かが侵入してステレオを盗んでいった」

「その後、誰かが下にレンガを置いて、ホイールを売っちまったんだ」。彼はすぐにそれを手放した。

彼はまた、アウディR8と、LAでぶつけたフェラーリ 458も所有していた。フェラーリ カリフォルニアも持っていた…もっとも、当時はそれに気づいていなかったが。「その****なクルマが、なんて名前かなんて知らなかったんだ」と彼は言う。「ショールームの男が俺に言ったんだ、『カリフォルニアについてどう思いますか?』ってな」

「俺は言ったよ、『天気は****最高だぜ』ってな」。ああ、オジー。

そう、オジー オズボーンはクルマが好きだった。そして、彼の愛車遍歴は文句なしの名車で埋め尽くされているが、我々は、全盛期の若きオジーのこんな写真を見つけた。古いコテージの外で、ボルボ 240エステートの前に立つ姿だ。

安らかに眠れ、ビッグマン。

アルファ ロメオ 33 ストラダーレ/ランド ノリス✕R32 東京ナイトドライブ/R35日本取材:トップギア・ジャパン 068
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=海外の反応=
「面白い!」
「70年代、俺はシュロップシャーのニューポートで学生だったんだが、酔っぱらったオジーがジャガーで商店街をぶっ飛ばしてたって話がしょっちゅうあったよ。彼の伝記(『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』だっけ?)は、俺が読んだ中で一番面白い本の一つだ。
2000年代になっても、彼がまだ生きてる理由を解明するためにやったDNA鑑定の結果って、誰か発表されたか知ってるか?」
「オジー オズボーンが240を持ってたのは驚きじゃないな。俺のじいちゃんも240エステートを持ってたけど、戦車みたいに頑丈で、永遠に走り続けたよ」

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