ランドクルーザーが70周年を迎えたという事実は、おそらく自動車業界で最も驚くことのないニュースだろう。ランドクルーザーは、冒頭で語られるように、克服するため、長生きするために生まれたマシンなのだから。
サバイバーとは、まさにランドクルーザーのことである。クルーザーは、超能力やデウス・エクス・マキナ(バイク会社のことではなく、強引な急場しのぎの解決策のこと)のおかげで勝利するのではなく、容赦ないからこそ勝てるヒーローなのだ。どれだけ多くの障害があっても、どれだけ巨大な障害があっても、決してあきらめない。そういうヒーローって、他にもいるよね。例えば、「セレニティ」のマルコム レイノルズ。「ダイ・ハード」のジョン マクレーン。「ウォーリー」のウォーリー。
時には不条理で困難な課題に直面してきたランドクルーザーには、その記念すべき誕生日に相応しい言葉があると思う。そして、ランドクルーザーの歴史を振り返らずして、70歳の誕生日スピーチを終えるわけにはいかないだろう…。
元々はジープと呼ばれていた
アメリカが大日本帝国に対して厳しい終止符を打った後、100万人近くのヤンキーが日本列島のどこかに駐留することになった。そして50年代初頭、アメリカは朝鮮半島で全く新しい戦争(政府の命名法やプロパガンダがお好みなら治安維持活動と呼ばれる)を起こすことになる。そのためには、車両が必要だった。
第二次世界大戦のウィリス/フォード/バンタムジープのように、アメリカはシンプルに、ジープの基本設計を日本製にすることを決め、トヨタに100台の日本製ジープを発注する。ジープ BJは、よりパワフルに、より大きくなったこと以外は、オリジナルのウィリス ジープとほぼ同じであり、朝鮮戦争でも活躍した。このシンプルなオフロードマシンに可能性を感じた地方自治体が、独自に発注したことで、トヨタジープの本格的な生産が始まったのである。
興味深いことに、ウィリス社は、「ジープ」のような威厳と信頼性のある名前を開放することに少し抵抗があった。そこでトヨタは、最初は「トヨタ BJ」と名前を変え、その後、世界中のBJファンを悔しがらせて、再び「トヨタ ランドクルーザー」と名前を変えた。そして、トヨタは、もう一つの世界的に有名なオフローダーに鉄槌を下すことを知っていた。いや、ジープではなく、もう一台の方。そう、ランドローバーだ。
残念ながら、アメリカの自動車メーカー、スタッドベーカーは50年代初頭にすでにランドクルーザーというクルマを出していた。だが幸いなことに、少なくともトヨタのランドクルーザーにとっては、スタッドベーカーは1954年(トヨタがランドクルーザーの名前を使い始めたのと同じ年)にランドクルーザーの製造を中止し、60年代に倒産してしまったのである。ランドクルーザーからは、「あなたは私たちから弱い血を取り除き、私たちを強くしてくれました」という声が聞こえてきそう、なんて考えるのは私たちだけ?
アメリカ人はランドクルーザーが好きではないよう
オーストラリアや南アフリカなどの英語圏の国では、訛りの強さに関わらず、ランドクルーザーの良さが伝わっている。農家や鉱山労働者など、人里離れた場所に行って生活を続けなければならない人たちに愛用されているのだ。しかし、そこはアメリカ。
クルーザーはアメリカでは控えめなスタートを切り、発売1年目で1台しか売れなかったと言われている。そして、販売不振にもかかわらず何年も頑張ってきたクルーザーは、今ではすっかりアメリカから姿を消してしまったのだが、アメリカに特化したトヨタのオフロード車は健在だ。例えば、トヨタ セコイアのようなオフロードカーは、カリフォルニアのレッドウッド(セコイアメスギという杉)とほぼ同じ大きさであることから、宣伝文句に偽りはない。
ランドクルーザーのプラドをベースにしたヤンキー仕様の4ランナーなど、ランドクルーザーは自由の国で細々と生き続けている。
オーストラリア人は本当にランドクルーザーが好きなんだ
オーストラリア人は世界の人口のわずか0.33%しか占めていないにもかかわらず(ロンドンのすべてのパブでバーテンダーをしているようだが)、英国の対蹠地の同胞は、これまでに製造されたランドクルーザーの10%以上を購入している。
これは、オーストラリアが都市部を離れると僻地になって人を寄せ付けない傾向にあることと関係があるのかもしれない。例えば、フォーティテュードバレーのような場所では、殺伐としていて、確かに人を寄せ付けないような雰囲気が漂っている。
そして、何台ものクルマが、自分の存在意義に反感を抱いているオーストラリアのどこかへ旅立っているが、昔から言われているように、再び戻ってこられるのはほんの数台だけだ。
家系図は想像以上にフクザツ
ランドクルーザー プラドが4ランナーの土台になっていると言ったのを覚えてる?覚えてない?ちゃんと読んでた?でも、気持ちはわかる。
とにかく、注意を払っていた授業の生徒たちのために言うと、ランドクルーザー プラドはランドクルーザーではない。ランドクルーザーの一種であり、ランドクルーザーファミリーの一員でもあるけれど、言ってみれば厳密な意味でのランドクルーザーではない。
説明が必要だね。
初代ランドクルーザーは、征服しようとする地形への意気込みと同じように、タフで妥協を許さないものだった。つまり、初代BJから20シリーズ、40シリーズ、70シリーズのランドクルーザーまで、ランドクルーザーの伝統を引き継いでいるのだ。
1967年、トヨタはオフロードワゴンのFJ55でSUVの先駆者となった。ジープ ワゴニアやレンジローバーと同様に、トヨタは1980年に60シリーズ(つまり、「ダンテズ・ピーク」に出てくるクルマ)、1989年に80シリーズ(つまり、誰もが持っているクルマ)で、SUVの先駆者としてより豪華にした。その後、超巨大で超高級な100シリーズ、200シリーズなどが登場している。
そして、プラドである。80年代、ランドクルーザーのライトデューティーモデルとして登場した70シリーズは、私たちの99%が必要とするものをすべて備えていた。しかし、その時点では「プラド」とは呼ばれておらず、いくつかの市場ではバンデラと呼ばれていた。
90年代に入って、ついにプラドの名を冠し、イギリスでは「ランドクルーザー コロラド」と呼ばれるようになった。もうさ、誰かが名前を決めたら、ずっとそれを守ってくれないだろうか?
いずれにしても、ランドクルーザーのSUVバージョンを少し小さくして、少し安くしたもの。なるほど、シンプルだ。
さて、これでレッスンは終わり。さて、授業の後で復習のために何人かを指して、話を聞かせてもらうよ。
トヨタがFJ40用の新しいパーツを製作中
FJ40はどんなものよりも長持ちするということで、すでに称賛されているが、その長さは年単位よりも世代単位で測ったほうがいいかもしれない。「祖父や父が乗っていたものだから、私や息子が乗り換えるまでは持つだろう」というように。
しかし、今では実際の不死に一歩近づいている。確かに、「テセウスの船」のような深刻な条件付きの不死だけど、それでも不死なのだ。トヨタが老朽化したFJ40の新しい交換部品を作っている今、その寿命を測る方法が世代から永遠へと変化することが期待されている。
納得の理由で記録更新中
世界最長のドライブ記録を樹立したのは、もちろんランドクルーザーだ。記録樹立には、まだスイスの遊牧民であるエミール シュミットとリリアナ シュミット夫妻の力が加わっている。夫妻は、1984年にちょっとしたロードトリップに出発し、その後30年あまりの間に同じランドクルーザー 60シリーズで460,000マイル(740,298km)以上を走破し、その過程で180カ国以上を訪問した。彼らの軌跡を見て、#vanlife というハッシュタグをつけてるインスタグラマーの皆さんは、絶望してほしい。
また、この物語の本当にくだらない結末なんだが、コロナウイルス、旅行制限、そして分厚い書類バインダーを抱えた官僚主義によって、シュミット夫妻は2020年にランドクルーザーをブエノスアイレスの郊外に置いてこなければならなかった。30年以上も自宅で過ごしてきたこのクルマと再会するために、一連の法的ハードルをクリアしようとしてきたが、アルゼンチンのお役所仕事の中にあっては、おそらく永遠に閉じ込められたままだ。
ランドクルーザーがダカールに挑戦、予想通りの結果に
トヨタ ランドクルーザー ダカール。カジュアルなダカールファンであれば、a)南米、そしてサウジアラビアにステージが移動した今、いつまで合法的にダカールと呼び続けることができるのか疑問に思っているかもしれないし、b)2019年大会の勝者であるトヨタ ハイラックス ダカールのことはすでにすべて知っているかもしれない。
しかし、私たちが「過酷」と呼ぶことをほぼ契約上義務づけられているかのようなこのレースに、トヨタがもっとベーシックなエントリー車を用意していることは知らないかもしれない。それは、あなたがすでに想像しているように、基本的に改造されていないランドクルーザーだ。確かに、トップランナーに比べれば時間はかかるけれど、どのクラスに出ても常に上位に食い込んでいる。もちろん、それはランドクルーザーが4分の1から10分の1の割合で参戦しているからかもしれないが、それでも、ほぼ標準的なランドクルーザーが、人知を超えた過酷なラリーに挑み、成功を収めているのだ。
意外な理由でも記録を維持
な、な、なんと、世界最速のSUV。「世界で最も雨の多い砂漠」や「世界で最もシリアスなコメディ」のようなものだ。しかし、人間はどんなに無意味なことでも頂点を求めてしまうものだから、こういった記録こそ、大人の男が自らの意思で達成するものなのだと思う。
そしてそれは、ランドスピードクルーザーと呼ばれる2000bhp、最高速370km/hのランドクルーザーが最近まで保持していた記録だ。真面目に役立つことを追求している人にはない、そんな言葉遊びのようなシャレの精神を感じる。
2000bhpのキャシュカイが2-3km/h速く走ったようだが、実際には日産 GT-Rの上にキャシュカイのボディを載せたものなのだ。それは、本当に記録としてカウントされるもの?
醜いと言われ「鉄の豚」と呼ばれたモデルも
55シリーズは、確かに物理的な領域では最も魅力的な物体ではないかもしれないが、「鉄の豚(Iron Pig)」はちょっと極端な感じがする。FJ55のような大型で大げさなSUVが主流となり、標準的なサルーンやステーションワゴンが市場の片隅に追いやられる時代が来るとは、知らなかったのだろう。そのため、この言葉はFJ55の意図するところじゃなかった。
1960年代は、建築家が「マンションを人間の書類棚のようにしたらどうか」と問いかけ、床屋が「最もバカげた髪型は何か」と問いかけていた時代である。
つまり、何十年もの時を経た今なら、FJ55よりも醜いクルマは、歴史の中にいくつも存在するはずだということ。また、1960年代には、ミウラ、GT40、ジュリア、Eタイプ、コブラ、マスタング、911、DB5、250GTO、SLパゴダなどが世に送り出されている。だから、彼らは良いものに慣れすぎていたのかもしれない。
トヨタの白い色?それは「フレンチバニラ」と呼ばれているとか
ランドクルーザー(特に70シリーズ)がかなりタフなギアであることはよく知られている。例えるならば、ランドクルーザーは、氷点下のみぞれの中を30km歩いてたどり着き、木の枝が残っているようなビールを黙々と9L注文し、それを何のためらいもなく飲み干し、寒風の中を再び30km歩いて帰ってくるようなものだ。
このマシンは、「白」や「白では満足できないのか、君は?」という人や、「エトルリアゴールド」(茶色)や「エクリュ」(別の茶色)のようなマーケティングカラーに悩まされるような人、要はスタイルにこだわる都会のポゼッションモデルではないのだ。しかし、トヨタは70シリーズに「メルローレッド」や「フレンチバニラ」といった色を設定した。70シリーズに乗る人がメルローを飲むとは思えないけどね。