パオロ ピニンファリーナ、65歳で逝去 祖父の名前をつけた電動ハイパーカー、バティスタ

パオロ ピニンファリーナ、65歳で逝去。イタリアの名門一族の末裔の一人が惜しまれつつこの世を去った。

ピニンファリーナ グループのパオロ ピニンファリーナ会長が、トリノで逝去した。65歳だった。同社は公式声明の中で、妻のイラリアさん、母親のジョルジア ジアノリオさん、そして5人の子供たちが立ち会ったと発表した。

同社のシルビオ アングーリCEOは次のように述べた:「私たちは皆、ピニンファリーナに大変感謝しています。ピニンファリーナの会社に対する並々ならぬ貢献と、スタイルや倫理的、行動的な選択の両面において、当社の歴史と企業アイデンティティを常に情熱的に提唱してくれたことです」と述べた。

1958年8月28日にトリノで生まれたパオロ ピニンファリーナは、イタリアの名高い一族の末裔のひとりである。彼の祖父バティスタは1930年にカロッツェリアのピニン ファリーナを設立し、このデザインハウスが自動車の進化に果たした貢献は計り知れない。

家族の後継は常に難しい問題であり、2008年8月、兄のアンドレアがカンビアーノ本社近くでベスパを運転中に死亡したため、パオロ ピニンファリーナは会長に就任した。しかし、彼には十分な資質があった。トリノ工科大学で機械工学の学位を取得したパオロは、キャデラック、ホンダ、GMに勤務した後、1982年に同族会社でキャリアをスタートさせた。

ピニンファリーナは、600台以上の自動車(その多くはフェラーリ)のデザインを手がけているが、同社はまた産業デザインの強力な支配力を持っていた。パオロ ピニンファリーナは、家具、建築、航海、航空デザインの分野に精通していた。エネルギッシュな兄に比べ、彼は物静かで内省的な性格で、父セルジオの冷静な感覚を受け継いだと主張した。

これは、2008年の金融危機後の困難な時期に役立ったという。彼はまた、クルマの世界以外で得た知識にも誇りを持っていた。

その後、ピニンファリーナ S.p.A.は、アウトモビリ ピニンファリーナをポートフォリオに加え、トップギアは、彼の祖父に敬意を表して名付けられた電動ハイパーカー、バティスタの2018年内覧会でパオロに会う機会に恵まれた。

「バティスタは100万人に1人の逸材でした」と彼はトップギアに語った。「異端児として成功するためには、3つのことが必要です。才能、献身、そして適切な瞬間に生まれ、適切な場所で育つことです。彼は1893年にトリノで生まれ、自動車とともに生まれ、自動車の未来を探求する才能ある人々に囲まて育ちました」

「この3つの要素によって、成功はもたらされたのです」

それは、彼が全力を尽くして維持した成功だった。彼のご家族に哀悼の意を表する。

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=海外の反応=
「今から100年後、私たちはその巨人たちの業績を見て涙するだろう。ピニンファリーナから生まれたものすべてが必ずしも偉大だったわけではないが、それでも偉大なものが生まれたのだから」
「R.I.P.」
「ピニンファリーナとガンディーニが同じ年に?悔しい」
「私の家の前を通る路面電車はピニンファリーナのデザインだ。彼らは派手な車だけじゃないことをやっている」
↑「世界中のファストフード店にあるタッチスクリーンのコーラマシンには、ピニンファリーナのバッジが付いている」

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