価格?そんなこと聞くなよ。だって、人生に一台、巨大なウイングを持つ400馬力のレーシングハッチを迎え入れたくない者など、いるだろうか?
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今から40年前、MGのエンジニアたちは、ある日「楽しい休日」を過ごし、とんでもないマシンを生み出した。バックファイアを吹き、巨大なフォグランプを従えたグループBの悪童、コードネーム「6R4」である。そして今、オークションハウスのボナムズから、あのコリン マクレーが所有した6R4そのものを手に入れるチャンスが巡ってきたのだ。
ステロイドで筋肉を増強したかのようなこの小さな暴れん坊は、当然ながら専用設計のスペースフレームシャシーを持ち、オリジナルの市販車と共有するパネルは、ある意味幸いなことに、ごくわずかだった。設計はF1の名門ウィリアムズとの共同で行われ、その中身は完全に別物へと作り変えられた。駆動方式はFFから4WDへ、エンジンは4気筒から6気筒へ、そしてレイアウトはフロントからリアへと、すべてが逆転していた。
最強スペック仕様では、自然吸気の3.0リッター90度V6エンジンは400馬力以上を発生。このエンジンには、コスワースの伝説的なF1用V8エンジン「DFV」を参考にしたツインカムヘッドが与えられていた。それだけでは飽き足らず、6R4は5速のドグミッション、調整式LSD、そしてウィリアムズのワークショップからそのまま“拝借”してきたビスカスカップリング技術までもが投入されていた。
そのワイルドなボディも風洞実験で徹底的に磨き上げられている。ノーズの前に突き出たシャープなエクステンション、酸素を貪り食うかのような巨大なエアインテーク、そして流麗なリアウイングはすべて、世界ラリー選手権(WRC)を“襲撃”するために試行錯誤を重ねた結果なのだ。
もっとも、その“襲撃”は長くは続かなかったが。このマシンが戦うために生まれたグループBカテゴリーは、安全性の懸念から、わずか4年で歴史の幕を閉じてしまったからだ。6R4が参戦できたのは最後の2年間だけで、最高成績は1985年のウェールズラリーでの3位だった。
それでも、デチューン版の6R4は国内選手権レベルで戦い続け、数々のタイトルを獲得。その後、ヨーロッパのラリークロスへと戦いの場を移し、そこでもその実力を証明、1992年にはチャンピオンに輝いている。
マクレーがこのシャシーを手に入れたのはその後のこと。1998年に開催された自身の名を冠したイベントでは、コースカーとしてその走りを披露した。しかし不運なことに、ある日ガレージで作業中に火災に見舞われ、彼はこのマシンを手放すことになった。
現在のオーナーが16年前に手に入れてからは、完全なレストア作業が施され、いくつかの機械的な改良も加えられた。これにはECUのアップグレード、新しいパワーディストリビューションモジュール、そして新品のディファレンシャルが含まれる。
25万ポンド(5,000万円)の使い道としては、我々が思うに、決して悪くない選択だろう。
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