マクラーレン F1のおかげでできたライトウェイトカーのコレクション
ゴードン マレーは、自分の名前のついた会社本社の前に年季の入ったアルピーヌに乗って現れた。これは16年間連れ添ったスマート ロードスターの後に初めて買ったクルマなんだとか。「ギアボックスは正直終わってるんだけど、このクルマくらい小さくて軽くて楽しいのはないんだ」
彼はA110を十分楽しんでる様子だ。だが、3つのホイールは「幅が広すぎる」って理由でとっくの昔に擦られてるし、NAのマニュアルじゃないのもお気に召さないみたいだ。「もしそうだったら、パーフェクトだね」
簡単には喜ばない人だな。でも、簡単に喜ぶような人だと、5台の選手権を制したF1カーや、記録破りのロードカーや、ニキ ラウダの名をつけたサーキット専用車は作れない。今日彼は、かなり充実したLinkedinの履歴書に「ツアーガイド」という肩書きを追加することができそうだ。そう、そんなマレーが自身のコレクションを案内してくれるという。 私の方はといえば、そのことで簡単に喜ぶような人間である。
「ここは、カスタマーエクスペリエンスセンターなんだ」と、いずれ3シーターのT.50スーパーカーを手にする100人の富裕層がやって来る場所へと私たちをいざないながら、マレーが言った。「2階はシーティングバックになっていて、マクラーレンF1で行ったような人間工学に基づいたフィッティングが行われる。カラーやトリムをどうするか決めていくんだ」ご存知かもしれないが、シーティングバックとは、自動車のシートのプロトタイプを作成するために使用される特別なテスト装置のこと。希望すれば、ピンクだって頼める。そう、ピンクだけど、何か?
マレーは単なる速いだけのクルマのマニアではない。彼自身がアイデアの工場であり、この一見ありふれた展示場は、軽量化って呪縛に取りつかれた没入感を具現化させた場所だ。ここに来れば、彼のストーリー、物作りで学んだこと、50年間満足させることができなかったインスピレーションの数々を感じることができる。
今日トップギアがここに来た名目上の理由は、マクラーレンF1の後続モデルとなるサーキット限定仕様のT.50sの取材だ。エンジンの回転がより速くなってて、唸り声もより大きくなってて、俳優のクリスチャン ベールばりに激痩せしてて、魔法のように莫大なダウンフォースを発生させる。340km/hで1,500kgのダウンリフトまで負荷を軽減させるよう、髭のマエストロが設定した。「楽しみを途切らせないように」ってね。
「これまでで最高の走りになる予感がする」と、彼は自信満々に微笑んだ。「レギュレーションに縛られずに、すごく楽しく作れたんだ」
カーボンの宇宙船だけを見たら、通常なら見とれてしまったはずだ。だがT.50sは他とは違う。あり得ないほどの美しさをまとって、他のライトウェイトカーに囲まれてるんだ。だが、そのライトウェイトカーの中に、マクラーレンF1はない。マレーはXP3 プロトタイプを手放した。2,000万ポンド(32億円)相当の保険価値評価を受け、「地元の道路で乗客を怖がらせることを楽しむにはちょっと危険すぎる」と感じたため、売却した。それをきっかけに、F1の父は前々から欲しかった乗り物を片っ端から集めて、コレクションを広げていったのである。
「自宅には全部で22のガレージある。22と言っても、すべてがクルマ用ではありませんけど。いくつかは園芸用の機械がある。クラシックカー用は14くらいかな」14!マジかよ。クラシックカーの何台かは芝刈り機かな?
そう言って、カンペを見るでもなく、ポケットからウィキペディアを引っ張り出すでもなく、ガソリンの利点を追い求めて走り続けた自身の人生を振り返り始めた。話は彼の人格を形成したっていう南アフリカ時代にさかのぼる。「レース一家で育ったんですよ。機械工だった父はバイクレースに出ていたので、レースミーティングには5、6歳で連れて行かれていました。自宅はダーバン近郊で、家のまわりやビーチを走るコースがあってね。B級のモナコみたいな」
フォーミュラ 3レーシングカーの名車、1951年式のマークIV クーパー 500シングルは、彼が何が何でも手に入れたかったものだ。「覚えてる限り父が関わっていた最初のクルマなので、自分にとってすごく懐かしさを感じる物なんだよ。そのちょうど隣にあるのが、私が最初に乗ったレーシングカーで、18歳の時に自分で作ったんだ。エンジンをとにかく自分仕様にしてね。ベースは英国フォードのアングリア105Eなんだけど、ピストンとカムは自分で作った」それも、予算は非常に限られていた中で。
「全部にかかった金額は200ポンド(32,000円)。一番高かったのはウェーバーのキャブレターで、予算の60ポンド(10,000円)をつぎこんだ。1年で返すからって叔母と兄を説得して。その後、2年間このマシンを走らせ、何回かレースで勝ったんだ」ファミレスでテーブルを拭いて学生ローンを返済するよりも、ずっといい。
1969年までに自国でのキャリアが天に達した23歳のマレーは、シングルシーターレースの世界的な震源地だった(今でもそうだけど!)イギリス行きの貨物船に乗った。
大量のプラモの箱やトップギアマガジンのバックナンバーでロフトの梁をきしませてる人たちには、マレーが収集癖のある人物だなことが心強いはずだ。古いギフトや思い出の品の数々が、彼が初めて構えたオフィスを飾り立てるのに使われていたのである。「あのパンタグラフ式製図機は、両親が誕生日に贈ってくれたもの。机にあるスイス製の道具類も18になった時にもらったもので、マクラーレン F1を設計するときに使ったんだ」そうマレーは淡々とした口調で説明してくれた。自分にしてみれば、あれらはジョン レノンのギターよりも貴重な物なんだけど、マレーにとっては単なる道具にすぎないようだ。
室内をランダムにきらびやかに飾り立てているのが、マレーが「スタイリングだけじゃなく、そのメカニズムも素晴らしい」と絶賛するジュークボックスだ。「全部で16台ある。トランジスターが普及する前に電気工学と機械工学を組み合わせて作られた、電気機械式なんだ。カムもベルトもついてる。新しいのを買ってきたら、すぐにオフィスには飾らずに、自宅へ持って帰ってひと月くらいはじっくり観察して、そのメカニズムを研究してる」
チャック ベリーのジョニー B グッドが流れるまで箱を叩きたい衝動にかられながら、あの1,000kg以下の天からの贈り物をじっくり研究してみることにした。結果として、秩序性は存在しないけれど、明確なテーマはあるってことがわかった。「シンプル、軽量、目的を持ったデザインが大好きなんだ。それは、私のコレクションのほとんどすべてのクルマに共通するものでもある」
F1レースで活躍したブラバムBT44Bのリビルト版の隣には、かつてスポーツカー耐久レースで戦ってたアラン デ カディネットのために4か月かけて製作したっていう、平べったい1972年式のル マン3.0リッターのプロトタイプが並べられてる。「アランの予算の上限は5,000ポンド(80万円)だった。私の報酬は250ポンド(40,000円) だったが、最終的に支払われたのは200ポンド (32,000円)だけ。50ポンド(8,000円)持ってないからって。そのかわりに、ヒューレットパッカードの関数電卓をもらったよ」
レーシングカーデザイナーの華やかなエピソード。「それから妻とクレーゲートに家を借りました。夜の8時くらいまでは普通に職場で仕事をして、家に帰ってから、窓の内側に薄氷が張っている朝方3、4時ごろまでクルマをいじってた」
それから彼は、テストドライバーって仕事がよりクールに聞こえる逸話を聞かせてくれた。「ドライバーは、真夜中にM4に行って、200mph(322 km/h)で高速道路を走って安定性をテストしたあと、そのままクルマをトレーラーに乗せてル マンに向かってた」ゴードンが初めて挑戦した耐久レースは、5位で順調に走り、終盤のクラッシュで12位まで順位を下げた。そして、1995年のラ サルトでF1 GTRの記念すべき優勝を飾ったのである
こうしてコレクションのラインアップを見てると、初期のマレーが製図家ではなく、ステアリングを握る実践重視のデザイナーを目指してたことが分かる。1970年当時では超斬新だと言われていた、フォーミュラ 750のレーシングカーの寝そべるように低い運転姿勢。彼の長身の体を風の流れから下げ、体重をオフセットのリライアントエンジンに対してバランスをとっていた。
あのクルマとV8ホットロッドに挟まれてる小型LCCロケットは、彼のヒーローであるコーリン チャップマンのロータス セブンから“史上最も軽量なクルマ”と言う称号を奪い取った。T.50が現れる前までは、その11,500rpmのバイクエンジンは最も高回転だったんだ。
「夏の間は、現代的なクルマは使わないんだ。毎日クラシックカーかバイクに乗ってる」マレーは、「ガレージクイーン」を第一に考える人をすぐに打ち破る発言をした。ガレージクイーンとは、高価で希少価値のあるクラシックカーなどの所有者が、クルマをディスプレイケースに入れて保管し、ほとんど乗らないことを指している。彼は、どんな貴重なクルマでも徹底的に乗り潰し、使い倒すことができると主張している。
「これはデ トマソが初めて手掛けたクルマ、ヴァレルンガ。バックボーン シャシーのミッドエンジンクルマはこれが初なんだ。聞く人によっては限定50台だという。あれだけ優美なイタリアンボディをしてるのに、後ろに積まれてるのは大衆車のコルチナGTエンジンなんて、ジョークみたいだよね」
フィアット 600ベースのクーペなど、10代からずっと恋焦がれてきたクルマを複数手掛けてきたザガートに心底惚れ込んでるマレーは、アバルトという底なし沼にはまったようだ。
「アバルトはT.50に多大な影響を与えている。シンプルな作りとか小さなギアレバーとか、たまらないんだ」彼は自分の身長に合わせてスパイダーをリビルトしたばかりだが、ロックダウンによってテストを阻止された。「早くサーキットに連れて行きたくて仕方がない」と、彼は言う。「これぞオーバーステアってのをお見せするから」そう息巻くこの男性の年齢は、74である。
仕切られたドアを抜け、2つめの部屋に入る。隅っこに静かに停まってるのは、ブレーキダストが残る長年使い込まれてきた3スポークのくたびれたスマートだ。
数台のロータスもある。その形状とカラーリングはとても魅惑的で、彼のワールドクラスの博物館の解説についていくのは大変だ。「なんて美しいエンジンなんだろう…。コルチナやエランに使われているロータス 1558 ツインカム エンジンの大ファンなものでして。アルミ製のボディ、ザガートシェイプ、美しい小型のツインカム、本当にとても使いやすいクルマ。私が思い描くまさに完璧な一台ですよ。これ以上のものはない…」そこで、思い切って禁断の質問をぶつけてみた。もしここが火事になって一台だけ持って逃げられるって言われたら、どれを選ぶのかってね。「一台だけ?ならエランでだね」
主にイギリスとイタリアのクルマだけど、その中に混じって日本もあるな。キュートなホンダ S800だ。「これが出た時、私は10代だった。10,000回転もするのに手ごろなクルマがあるって何かで読んだんだよ。いつか絶対手に入れてみせると思ってたのを、よく覚えてる。エンジンも、とても扱いやすいんだ。もちろんですけど、すごく軽量だしね。ギアボックスはとにかく最高。あれは、私は今まで使った中で一番良くできたロードカーのギアボックスだ」
「当時の南アフリカでは、18歳になるまでクルマの免許をとれなかった。なので16からはバイクに乗っていたんだよ。今でも乗ってる。昔はヘルメットも被ってなかったし、靴さえ履いてなくて、Tシャツに短パンだけ。で、クラッシュして、怪我する。最高の思い出だ」
今では、ここでバイクは「小さなアート作品」って扱いだ。ところでマレー夫人って、このコレクションのうちの何台くらいを知ってるんだろう。実際に聞きはしなかったけど、ちょっと気になってしまった。「全マニファクチャのバイクをコンプリートしたいね。今のところ40台ある。全制覇まで残りあと8台。気晴らしに乗って、それ以外の時は壁に飾っているんだ」
次に狙っているのは何なんだろう?「もうだいたいが揃ってると思うんだけど、気になってるアバルトが数台あることはある。でも、滅多に売りに出されることがないので、なかなか見つからない」
一般的な億万長者がT.50sをヘリコプターで受け取りに来て、ここをぶらぶら歩き、マレーが初期に手掛けた作品をみたらどうなるだろう。1971年に作られた850ccのミンバグは、ヒースロー空港の使われていなかった格納庫で作られたクルマで、毎日のように奥さんを乗せて、合計6万キロちょっと走った。「ポップリベットは全て妻がやってくれた。リベットの数は、クルマ一台につき1,500本だね」
ミンバグやロータス11がメルセデスSLR マクラーレンと同じ場所にあるなんて、ここでしか見られない。かぎ鼻をした630馬力のV8クーペは、マレーの軽量へのこだわりとベンツのお堅い社風がぶつかり合い、歴史の中で最も緊張感のにじみ出てるスーパーカーだ。ただし、ゴードンの日曜朝のお楽しみは、このクルマじゃなさそう。
「このクルマを一緒に作ったチームのみんなを非常に誇らしく思っている。カーボンシャシーと枠組みだけのエンジンクレードルはとても丈夫で軽いから。でも、スタイリングとスーパーチャージャー付エンジンは…あまり私の好みじゃないんだね」そう認めると、マレーは足早に次のクルマ、ポルシェ 550 スパイダーのところへ移動した。
多数のデザイナーによる委員会形式は、マレーにとっては重大な問題だ。ゴードンはまだ頂点にいるが、「自分はもう死に体なんだ」と厳かに語っている。「計算機とスケッチブックを持って、部屋にこもって最終的なクルマのエアロ構造とストレス解析とサスペンション ジオメトリーとクーリングとエンジンとギアボックスのデザインをしろ。でき上がるまで出てくんな!」そんな無理なリクエストにも応えてくれる彼みたいな絶滅危惧種的カーデザイナーは、もう世界に数人しかいないんじゃないだろうか。
「50年代から60年代にかけてには、そんな人は山ほどいた。ミニを手掛けたイシゴニスは、すべてを一人でしていた。フィアット500も、ダンテ ジアコーサという一人の人物の作品。たった一人の人間が、500枚のデザイン画を描いていまたよ」T.50の開発はそこまで独裁的じゃないけど、マレーの密接に組織されたチームは、とにかく重量を抑えることと、感覚的な興奮や直感的な魅力を重視し、単なる数値の戦いに対して優先するという、彼の断固たる意志を共有している。
「チームに千人近い人が所属するようになった現在のフォーミュラワンの世界では、そんなことはもうできない。ブラバム時代、デザインオフィスにいたのは自分一人だけだったので、チームの運営、雇用や解雇など人事も行いながらトラックの荷台にスペアのタイヤを積み込むのを手伝ってたよ」
なるほど、つまりこれは単なるコレクションの域を越えた、生きたミュージアムみたいなものなんだ。長年にわたる試行錯誤の集大成がこれであって、合格基準のレベルが普通の人よりうんと高い。彼は、310万ポンド(5.1億円)と言う価格設定のT.50sに乗り込んだ。3度の世界王者に輝いた彼の往年の偉大な友人への敬意の念があの細いフィンに記されている。
「誰かが後ろに700馬力のV12エンジンを積んだ850kgの車を作るまで、これ以上のものはないだろう」とゴードンは予想している。
そうだね、賢い彼がそう言うならそうなのかもしれない。けど、君はどう思う?
=海外の反応=
「間違いなく最高の記事だね!」
「すごいコレクション。でもメルセデスを持っているのには、ちょっと驚き」
「最後にマレーが「T50以上のクルマはもう作れない」って言ってたのには、激しく同意するよ。だって、世界はどんどん環境志向になって来てるからね。環境にやさしいクルマ、イコールEVのことさ。でも、EVの使うバッテリーはガソリンよりも熱効率がいいから、かなり重たいんだ。ホンモノのグレイトスポーツカーって意味でいうと、僕もきっとT50が最後だと思う。あんな素晴らしい技術が、僕らにでも買えるようなもっと手ごろなクルマに応用されないのは悲劇だよね。
T50とリマッチなら、どっちを選ぶ?悩むまでもないよ。断然T50に決まってる」
「これまで読んだ中で最高の記事かも。偉大な人だよ」
「新旧いろいろのすごいコレクション!」
「すごい物語とコレクションをもつ、レジェンド。是非ここを訪れて、彼が感じてきたことに触れてみたいな。素晴らしい記事」
「EVの話題が出ないなんて、なんていい記事なんだ」
「客になれたらなぁ。大金持ちのクルマ好きにとって、これが理想的な金の使い方なんじゃない?自分だけに作られた特別な一台ってのも最高だけど、お客様体験センターの応接室で優雅に腰をかけてクルマについて話し合うんだよ?」
「ゴードン マレーと言えば、レトロパワーのマーク1エスコートもお忘れなく。YouTubeに動画あるよ」
「同意できない奴はクルマのこと分かってないよ」
「マクラーレン メルセデスのは珍しいクルマだ。多分、あれ以前も以降もあんなの作られてない。互いが信じる理想と理想のぶつかり合いで、そこがすごくいい。エンジンノートも神だし!」
「ダーバンの母校が懐かしいなぁ。僕の父はマレーと同じ大学に行ったんだよ。僕も関わってたらどんなにか良かったことか」
「マレーはいつも自分の中のナンバーワン。ブラバムF1の頃からずっと大ファン」