ロンドンの若き“公爵”、その正体は? 31歳の型破りなクラシックカーディーラー「マーリン マコーマック」

「俺はただの、クルマが好きなバカだよ」。そう自称する31歳の男、マーリン マコーマック。しかし、その秘密基地に足を踏み入れると、そこは億を超えるモダンクラシックがひしめく宝の山だった。

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実際のところ、マーリン マコーマックは自身を「カーディーラー」だとは認識していない。彼の雑然としたオフィスでくつろぎながら、どんな肩書きで呼ばれたいか尋ねてみた。「俺たちは、人をからかうのが好きなんだ。うちの****なショールームを、テリー ティッブス(※英国のコメディ番組に出てくる中古車セールスマン)みたいに飾り付けたのも、この商売が完全な茶番だからさ。自分が何者かなんて、分からないね。たぶん、クルマが好きな、ただのバカだよ」

自虐とユーモアのセンス(そして、レストア狂の父親から受け継いだ、底なしのクルマ知識)こそが、まだ31歳の若さのマーリンを、今日この場所へと導いたものの一部でもある。1960年代のアメリカーナ、1990年代後半のフェラーリ、無数のポルシェ、そして難解なアルファ、フィアット、アストンが散りばめられた、この「知る人ぞ知る」ショールーム。ここで彼が見渡すものすべてが、彼の王国だ。

我々は、西ロンドンのどこかにいる。彼のけばけばしい本社は、衆人環視の中に隠れている。道順を教えられていたにもかかわらず、私は一度通り過ぎ、困惑してUターンし、道を尋ねる羽目になった。地元のロンドンっ子も、近くのヒースロー空港へ急ぐ旅人も、文字通り何百万ポンドもの価値があるモダンクラシックから、わずか数メートルの場所をうろついていることに、全く気づいていない。

とにかく、彼は貴族(ロード)ではない。彼は“デューク(公爵)”、オブ・ロンドンだ。これもまた、手に負えなくなって、彼のビジネスの名前になってしまったジョークの一つだ。

「“デューク・オブ・ロンドン(ロンドン公爵)”は、第二次世界大T戦後に、英雄であるチャーチル首相に授与されかけた称号なんだ」とマーリンは説明する。

(補足:これはマーリン氏のジョーク。英国の歴史上、そのような事実はなく、「ロンドン公爵」という爵位も存在しない。彼は、実在しない最高位の称号と、国民的英雄の名前を巧みに結びつけて、壮大な“物語”を語っているのだ)

「彼は謙虚で、戦争の記憶に苛まれていたからだろう、丁重にそれを断った。でも俺は、自分自身をデューク・オブ・ロンドンに叙するほど、傲慢だったってわけさ」彼は笑い、そして真顔を作ってみせる。

「本当のことを言うと、インスタグラムが始まった時、俺たちはただキャッチーなハンドルネームを探してただけなんだ。それを実際にビジネスとして正式に立ち上げる段になって、『なんて名前にしようか?』ってなった。それで俺は、半分冗談で思ったんだ。『俺のことは、デューク・オブ・ロンドンとしてご存じかもしれないな』ってね」

マーリンの物語には、質の高いガイ リッチー映画になりそうな、悪ガキが大成功を収めるような輝きがある。彼は学校では怠け者で、勉強よりも商売にずっと興味があったと、あっけらかんと認める。「最初に売ったのは、えーと、タバコだったかな。でもその後、クルマにのめり込んだ。運転できるようになる前に、最初のクルマを買ったんだ」何歳の時に? 「11歳。ステアリングラックがおかしいプジョー 205。32ポンドと1ペニーで買った。相手の男はカンカンだったよ。お袋が俺のために、それを引き取りに行かなきゃならなかった」

彼は、両親の熱心なサポートがなければ、どこにもたどり着けなかっただろうと認める。特に、自分の商品を実際に運転するには、若すぎた頃は。「俺がモペットに乗れるくらい老けて見えるようになった途端、俺たちはそいつらを買い始めた。主にベスパだ。お袋に頼らなくて済むようになったから、うちの私道はすぐにそいつらでいっぱいになった。それから、運転できるようになった途端、またクルマを売ることに戻ったんだ」

最近の世の中は、少年たちにハッスルすることを強要し、おむつが取れる前に最初の100万を稼げとプレッシャーをかける。では、マーリンの友人たちは、彼の起業家精神あふれる青春時代を賞賛したのだろうか? 「彼らは、それを奇妙だと思ってた。そして正直なところ、今でもそう思ってる。でも、どっちにしろ俺たちは学校では変わった子供たちだったからな…。少しは金を稼いだけど、それを再投資して失ったり、無駄遣いしたりしてた。2012年頃に市場が上向き始めた時に、チャンスを見出したんだ。それが、デューク・オブ・ロンドンになった」

今やそれは、モダンクラシックカーの供給元以上の存在だ。マーリンの地下壕の別フロアには、よだれが出そうな保管施設がある。そこには、最新のスーパーカーが防虫処理されて詰め込まれ、暖かく安全な仮死状態で、オーナーがジェット機で飛んできて、メイフェアでの週末のためにユニコーン(希少車)を選ぶのを待っている。

建物内では再開発が進行中だ。さらなる車両保管スペース。別の地元の施設では、カーミーティングの会場、カフェ、レストランが生まれる予定だ。それを後押しするのは、この組織全体が持つ、リラックスした、いたずらっぽい雰囲気を高く評価する、何万人もの@dukeoflondonのソーシャルメディアファンだ。私はマーリンに、この若造が好き勝手にやっているのを見て、旧守派の連中が不機Pになったりはしないのか、と尋ねた。

「人々は、だいたい親切だよ…でも、俺は昔から反逆児だったし、その気持ちは決して失いたくないと思ってる」。彼は、ミレニアル世代らしい例を挙げる。「俺たちが最初に始めた頃、誰もインスタグラムを使っていなかった。今や、大手ディーラーはプラットフォームを運営するためにチームを抱えている。昔、カーディーラーのクリスマスランチに行ったことがあるんだけど、そこで彼らが、俺がインスタグラムにクルマを載せているのを馬鹿にしていたのを覚えてる。『そんなところで、クルマが売れるわけないだろ…』」。彼は言葉を濁したが、彼の言いたいことは、すでに伝わっていた。

カウボーイのルックは、デューク・オブ・ロンドンそれ自体のように、派手で、悪びれず、そして自分自身を死ぬほど真面目には捉えていない

素晴らしい春の終わりの夕暮れだ。我々は、デューク・オブ・ロンドンが商品を撮影する、屋上へと向かった。マーリンは、彼の現在のコレクションの一部を並べてくれた。ファストバックのマスタング、トップが常に下ろされたベントレー・アズール、そして、最近、彼自身のショールームの外の縁石でぶつけた、フェラーリ・テスタロッサ。それは雑多で、不完全で、そして一台一台のマシンが、物語を語っている。

彼自身は、彼のトレードマークである衣装の一つをまとって、再び現れた。カウボーイのルックは、デューク・オブ・ロンドンそれ自体のように、派手で、悪びれず、そして自分自身を死ぬほど真面目には捉えていない。

私は、その奔放さが、商売の邪魔になることはないのか、と尋ねた。「年を重ねるにつれて、それは少なくなったと思う」とマーリンは答える。「俺が20歳か21歳の頃、最初のフェラーリを俺から買いに来た人々は、『ああ、お父さんのビジネスなんだな』って思い込んでた」

「今は、そういうのは少なくなった。人々は、俺たちが知識豊富で、情熱的だってことに気づいてくれてる。でも、たぶん、俺自身が老けて見えるようになったんだろうな。この業界に10年もいれば、そうなるさ」
アルファ ロメオ 33 ストラダーレ/ランド ノリス✕R32 東京ナイトドライブ/R35日本取材:トップギア・ジャパン 068
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